田中陸運 株式会社
先駆けてきた楽器運送を基盤にして
新しい輸送品質を創造する
代表取締役 田中 大策
日本人として初めてウィーン・フィルの指揮をした岩城宏之氏は、エッセイストとしても『オーケストラの職人たち』など多くの作品を残した。そんな岩城氏が、楽器運送のパイオニアと認め、臨時のアルバイトまでした運送会社が田中陸運株式会社である。演奏家にとって大切な楽器を丁寧に扱い届けてきた70 年以上の軌跡を踏まえ、さらなる発展を目指す3 代目社長の田中大策氏に話を伺った。
近所のハーピストの依頼から始まった楽器輸送
同社は、東京大空襲の少し前の1944 年、東京の代々木で田中實氏(大策氏の祖父)によって陸運業として立ち上げられた。当時19 歳の實氏は、戦火の東京を駆け回り、食うや食わずの毎日を送っていた。戦後も引っ越しなどを中心とした運送業を家族で営んでいた。
そんな中、偶然の出会いがあった。1955 年、国立音楽大学の外国人教授で有名なハーピストが東京の代々木に引っ越してきたのである。自宅の近くというだけで、教授から演奏場所へのハープの運送を、片言の日本語で依頼された。思いもしない依頼に困惑したが、当時、ハープはおろか楽器専門の運送会社など存在しておらず、また、田中陸運にも楽器運搬のノウハウはなかった。
楽器は、音色が変わるなどの理由で、ちょっとした衝撃も与えられず、傷一つつけてはいけない厳しい依頼品である。当時使用していたのは、小型で衝撃吸収性の低い、雨ざらしのオート三輪だった。
さらに道路も砂利道が多く、凹みもあり、雨が降るとぬかるむなど、運送には現在より厳しい状況であった。田中陸運は、「どうすればできるか?」という姿勢で工夫を重ね、困難な課題に対応していった。衝撃を吸収するために荷台にロープを張った上に楽器を置き、雨を防ぐために油紙で楽器を巻くなどの丁寧な運搬を行い、プロの音楽家から支持を得た。そこからアマチュアの交響楽団や学生の間へも口コミで同社のことは広まっていき、仕事の依頼も増えていった。そしてトラックも購入でき、運送品質も安定し、楽器運送の分野で確固たる地位を築いていった。
ダメな若者から計数と過程を重視する経営者へ
2 代目社長の子息である田中大策氏は、4 人兄弟の長男として生まれ、学校卒業後すぐに入社した。「当時は生活が厳しかったので、会社と家計を支えるべく自然と会社に入りました」と長時間働き続ける日々を送っていた。しかし、入社前の自分を振り返り、「だらけた生活をするダメな若者でした」と語っているように、受け身の姿勢で仕事をしていたという。そんな20 代前半のある日、社長であった父がヘルニアを患い入院することになった。「誰もやる人がいないという状況になり、そこからスイッチが入りました」と、これをきっかけに田中氏は仕事に必死さを見せるようになった。崖っぷちの会社でドライバーや事務を掛け持ちして、縦横無尽に働いた。忙しさの中でも「我々の運送トラブルで、演奏する人達のお金に代えられない思い出や満足感を台無しにしたくない」との思いは忘れなかった。
仕事ぶりだけでなく、学生時代には身が入らなかった勉強にも取り組んだ。「会社をしっかりコントロールしなくてはならない」と考え、2019 年にはファイナンシャルプランナーの資格を取得し、数字を見る力を高めてきた。この計数感覚の向上により、同年の社長就任以降、従業員数がほぼ同じでありながら、売上を大幅に上げることができた。また、この経験を通じて、「人と仕事のバランスが取れなければ、事業は継続できない」と考えている。運送業界のコモディティ化から脱却するために差別化を図り、会社自らが価値を伝えることを意識し、社員の賃上げ→パフォーマンス発揮の環境作り→差別化→業績向上という過程を重視して様々な施策に取り組んでいる。
楽器運送の社会的意義に応え、価値を伝えていくためには、従業員の知識レベルの向上が不可欠である。運搬対象物をよく理解し、傷つけずに運ぶ技能などを持つことでサービス品質を維持している。「楽器のケースを見て、その種類がわからなければプロ失格の世界です。お客様が当たり前と思っていることを理解しないといけません」と楽器の種類などに関する教育にも力を入れている。教育は単に知識を供与するだけでなく、サービスの根幹にある職務を認識させ、目標を定め、実行し評価する過程を踏ませることも大事にしている。そのためには、『従業員の作業が何のために、どのように行われているか?』という職務の定義をして、構成要素に分けて、それぞれの共通認識をもたせることが大切である。例えば、事故を起こさない運転という目的を達成するためには、高速道路や幹線道路、生活道路といった異なる場面(構成要素)に分けて、リスクを考慮しなければならない。
また、定めた職務をしっかり遂行するために、並行して仕組み化も進めている。ドライバーがペアとなり、業務に入る前にお互いの身だしなみの印象をチェックすることもその一環である。
楽器運送から家具運送、音楽関係者のプラットフォームへの展開
社長就任後、すぐにコロナ禍が発生し、業務にブレーキがかかった。コンサートなどの催しも減り、楽器運送の仕事は3 年間大幅に減少したが、この期間を冷静に立ち止まる機会と考えて前向きにとらえた。悪いことばかりではなく、おうち時間や別荘への移動などの家具運送の特需があった。それをきっかけに家具運送事業を強化している。楽器と家具はどちらも、運送品質の納得度が求められるサービスである。この点をブランド家具メーカーなどに訴求していく。将来的には運送に付帯する家具の設置、取り付けサービスへ染み出すことも検討している。「お客様の働く時間を確保する運送プラスアルファのサービス」を提供し、顧客の課題解決に貢献したいと考えている。
2023 年には、音楽関係者のためのプラットフォーム『Performat(パフォーマット)』を開設した。
音楽活動を行うには、楽器の売買、レンタル、合宿の宿など、さまざまな事業者が関係するが、現状ではそれらのサービスが届いていない人も少なくない。これらのサービスを集約したプラットフォームがあれば、音楽愛好家の課題解決につながると考えている。
代々木近辺に分散していた事業所を統合する目的で、16 年に移転してきた川崎は、企業の立地状況や人口増加の面からもこれらの事業に最適なロケーションである。ブランディングを強化し、一新された田中陸運のスタイリッシュなトラックと制服をまとったドライバーが、これからも川崎中を駆け巡り、新たな運送会社のイメージを作り上げていくであろう。