株式会社 アクス

建設現場の仮設開口部に新しい息吹を吹き込む新工法商品を生み出す

アクス 代表写真
代表取締役社長
大野 拓司
事業内容 セルボンの製造、養生鋼板のリース、 他
企業名 株式会社 アクス
創業 1986年(昭和61年)3月
所在地 川崎市川崎市川崎区浅田4-6-7
電話 044-366-6242
代表 大野 拓司(オオノ タクジ)
URL http://axxe.co.jp/

“ダメ穴”… 一般人には聞きなれない言葉であるが、建設現場では重要なものである。高層建築物では、1フロアずつ施工し、施工時に使うコンパネ(型枠)やサポート(支保工)を階上に上げていく。そのためにコンクリートスラブ(床)に開けられた搬入用の開口部がダメ穴である。そのダメ穴に革命を起こしたのが、株式会社アクスの開発したスラブ開口部スライド補強筋BOX『セルボン』である。同社の大野社長に製品化までの道のりを伺った。

鉄筋加工製品に出会って創業

「子供の頃は、家にある時計を壊しては、組み立て直すようなことばかりしていました。その時のドキドキ感が今でも忘れられません」と語る機械好きの大野氏は、1949年に島根県で生まれた。18歳で上京し、鉄鋼商社に入社する。当時は高度経済成長期で建設ラッシュが起きていた。大野氏も入社早々から忙しく働き、鉄骨溶接などの現場工事、保守、工程管理、営業など、会社の関わるほぼ全ての業務を経験した。建設用鉄骨や鉄筋の仕事を一巡し、見通しが利くようになった30代半ばに、コンクリート梁の開口補強用の鉄筋加工製品に出会う。これが好奇心の強い大野氏を刺激する。当時、梁の開口補強は、現場の状況に合わせて都度鉄筋を現場で切断し開口部周辺に斜め筋として施工していた。その鉄筋加工製品は、予め円形状に加工してあるプレハブ式であったため、持ち込んで直ぐ取り付けられる手軽さから建設現場の評判となった。こういったプレハブ製品に魅了された大野氏は、その後、鉄鋼製品メーカーに転じ、より関わりを深くし更なる経験を積んでいった。
そして1986年、「今まで培った技術を生かし、新しい製品開発をしたい」という思いで独立し、アクスを設立した。英語のアクセル、フランス語の軸という意味を込めて、ぶれずに一気呵成に進む会社をイメージして名付けた。しかし、カネもコネもない中のスタートで、簡単に技術開発は進まなかった。そのため、創業期は他社鉄筋製品の販売代理などをして糊口をしのいだ。寡黙な大野氏は、「派手な営業トークができない」タイプである。加えて、販路がもともとあるわけではない。朝8時から夜の12時過ぎまで毎日働き、一つ一つの建設現場を訪ね歩き誠実に説明して、製品を売っていった。家族に支えられながら、仕事に夢中で取り組んだ。「忙しすぎて創業5年間のことは全然覚えていないです。しかし、何かを掴みたいという気持ちが後押ししてくれました。その時は明確に描けませんでしたが、夢があったのですね」と氏は当時を振り返る。
地道な営業が奏功し、少し余裕が出てきたところで、オリジナル製品として梁の開口補強用のリング状鉄筋「アークリング」の開発を進めた。資金ショートにならないよう、銀行を説得しながらの開発であったが、なんとか製品化に漕ぎ着けた。ところが、開発の間に競合も増えて過当競争に陥ったことで事業撤退の判断をした。困り果てた大野氏であったが、毎日靴底を減らしながら通った建設現場の中から、次の開発のヒントを見つけ出していた。

現場で“ダメ穴”の課題に気づき、現場経費を低減する”セルボン”を開発

そのヒントが、“ダメ穴”であった。ダメ穴は、当該階の施工が終わった際には、鉄筋を入れてコンクリートで埋め戻す。スラブ強度を維持するためには欠かせない作業であるが、在来工法では鉄筋/鍛冶/大工工事の3種の職人が関わる工事のため、仮設にもかかわらず工事費が割高で悩みの種となっていた。
「コストダウンのため、ダメ穴を鉄筋製品としてユニット化しよう」とイメージし、セルボンの原型となる製品開発に取り組んだ。イメージは明確であったが、なかなか形に出来なかった。製品開発に5年ほど費やし、ようやく特許申請し、1992年にテスト販売を開始した。それは、両手を広げたぐらいの長さの棒状鉄筋を枡(ます)形に接続し枠体にして2つ作り、内/外枠の二重構造にしたものである。外枠は、スラブ内の鉄筋と接続してダメ穴の枠となる。一方で、内枠には対辺をまたぐように8本の短い補強筋(スライド筋)が引っ掛けられている。スライド筋は、ダメ穴を作る時には端部に寄せておき、当該階の工事が終了した時には均等に配置する。それらを結束すれば、必要な強度を満たすことができる。これで従来の鉄筋工事や鍛冶工事による現場合わせでの補強が不要となり、簡単かつ安定的にダメ穴の施工ができる。
強度的に十分納得できる製品が確立できた2000年に枡=セル、接続=ボンドという製品コンセプトからセルボンと名付けて正式に発売開始した。第三者機関の建築技術性能証明を取得し、これに基づいた計算書を提出できるようにした。ダメ穴の現場施工に依存せず設計者の意図した床荷重を満たすことができるのは、大きなメリットであった。
しかし、普及は簡単ではなかった。セルボンは、それまでのダメ穴の概念を変える新しい商品だったので、当初は自ら現場を1件1件まわり説明して販売するしか方法がなかった。しかし、忙しい現場事務所に昼間から話を聞いてもらえることは難しい。そこで、一仕事終わった夕方の事務所に営業をかけた。ここまで進めてきたガッツ、そして、何よりも自分の開発した製品への自信が背中を押し、勇気を振り絞って現場へ飛び込んだ。苦手なセールストークも考え、「ダメ穴で困った点がありますよね?」という語り口で現場のニーズを引き出していき、忙しい合間にも顧客は時間をとって話を聞いてくれるようになった。この製品のもたらす価値 ―トータルの現場経費低減、人手不足の解消、ダメ穴を現場合わせでなく設計管理できること ―を打ち出し、粘り強く営業していった。その結果、毎年じわじわとセルボンを使いだす現場が増え、北海道から沖縄まで全国に広がってきた。現在は、大手ゼネコン等にも支持され、商業ビル、マンション、官公庁の建設現場でも使われている。川崎の同社工場で丁寧な施工と検品をしてから、ひと月当たり30件近い現場へ供給している。

働く人それぞれが持つ希望を実現できる会社になりたい

セルボンの販売数量が増加するに連れ、社員も増えてきた。社長が夜遅くまで仕事に打ち込んでいる姿を見て、信じてついてきてくれた大事な社員たちである。大野氏には、「なるべく融通を利かせてきたつもりだが、社員には我慢をさせてきてしまった」という自責の念がある。会社も成長し、「働く人それぞれが持つ希望を大事にしたい。そのためにも、社会貢献にもっと力を入れたい」との思いを実現できるステージに来たと思っている。その一環として、20年近くセルボンの一部工程を近隣の障がい者作業所に委託してきた。働く人の能力に合わせた専用治具なども開発して、働くことで生きがいを感じられるような環境作りへの支援もしている。
製品面では、開発の手も緩めない。「セルボンは完成形ではなく、改良する余地はある」との考えで開発を続け、戦略的に特許化を進めている。そういった技術的背景が評価され、セルボンは「川崎ものづくりブランド」や「低CO2川崎ブランド」に認定された。大野氏は、その背中で、働く人を引っ張りながら、今後も建設現場に喜ばれる製品を作り続けていく。

川崎市産業振興会館
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