時代を越えて、地域と共に育むまちづくり
山根 崇
事業内容 | 建築工事一式、設計・工事監理、一級建築士事務所、宅地建物取引業 |
企業名 | 株式会社 山根工務店 |
創業 | 1902年(明治35年)9月 |
所在地 | 川崎市川崎区本町2-7-1 |
電話 | 044-244-4811(代表) |
電話 | 044-244-4815 |
従業員 | 46名(グループ全体) |
代表 | 山根 崇(ヤマネ タカシ) |
URL | https://www.yamane-koumuten.co.jp/ |
株式会社山根工務店は、1902年(明治35年)に創業した歴史のある会社である。創業者山根峯太郎は内務省の技官として京急大師線の敷設工事にも携わったことを背景として、事業を起こした。
戦後、川崎駅近くの商店街「銀柳街」に多数の店舗を建設したのも同社である。これまで住宅、工場、学校、病院、幼稚園など、多岐にわたる建設分野で実績を上げ、現在も川崎市を中心に商業ビルや公共・教育施設、マンション、一般住宅などの建設において活躍を続けている。
先代たちに築かれてきた歴史・山根代表の入社
主に山根家による事業は、過去代表が各時代のニーズに応じて堅実に発展させてきた。昭和30年代から40年代の高度成長期の建設ニーズから、土木工事業から建設業にシフトさせたのは特に大きな転換であった。代々の代表たちも技術面や対外交渉、財務や原価管理のシステム導入などそれぞれ改革を実施した。5代目社長の渡辺武松氏は地域の建設業発展を目指し、川崎建設業協会の設立に尽力し、地域社会の発展にも寄与してきた。
現在の代表である山根崇氏は大学卒業後、外部のハウスメーカーに営業マンとして入社。「ブラック企業だった」と代表が話す90年代後半当時、“ 働き方改革” などという言葉もなく、長時間労働と厳しい労働環境で相当に鍛えられたようだ。
代表が勤めていたハウスメーカーを退職してしばらくの後、当時の代表である山根三郎氏から声をかけられて入社をした。当時はバブル崩壊後で、建設業界が非常に厳しい環境にあった。通常なら大手ゼネコンには見向きもされない案件でも競合するというような過酷な状況だ。待っているばかりでは仕事がない状況下で、山根代表は従来同社になかった営業部門設立の推進役となることを期待されてのことだった。
困難から立ち直り、グループの基盤を確立
営業担当者は当時山根代表を含めても5人程。新設部門における戦略の模索を始め、営業の一担当者として地主への営業電話や飛び込み営業、内覧会の企画立案・現地担当者、新しい工法のフランチャイズ展開の推進など新規事業・部署の営業担当として奔走。前職で培った営業スキルなどを活かし、これまで“ 待ち” の同社を攻めの姿勢に変えていった。少しずつ同社が回復していく中で、2006年にオープンした「ラゾーナ川崎」が出来たことによって近隣の建設事業が増え、街が変貌していった。気がついたら周辺では同社規模の建設業者が倒産や撤退をしており、地域内で同社の地位を確立していった。
苦しい状況を打破せんと奮闘していた日々も落ち着きを得た頃、2010年には8代目社長にも就任した。このころから社外での活動も積極的にできるようになり、元々人脈づくりのために入ったという川崎青年会議所でも理事長を務めることにもなった。社長就任後、同社のグループの中でお金を循環させたいという考えから、従来の建設業のフロー型ビジネスから一歩踏み出し、継続的な収益を見込める新たなビジネスモデルの構築に取り組んだ。先代代表の個人会社であった㈱ヤマネ総合サービスを同社グループに組み入れ、ビル管理・リフォームを担当、山根代表が新たに株式会社ディーエムアールをつくり、不動産投資や賃貸事業を担当、そして新築の建設は同社で、という体制を構築した。
新しい事業の挑戦と試練
そして、2010年代半ばになると今後のインバウンドの増加を見込み、さらに川崎の街を活気づかせようと代表が始めようとしたのがホテル事業だった。ホテル経営のノウハウがなかったが、社外活動で培った人脈が活き、ホテル運営を知人のプロに委ねることで解決した。2020年7月、ホテル「縁道」のオープンに向けて順調な滑り出しかと思われた矢先、新型コロナウィルス感染拡大に伴い4月には緊急事態宣言がなされた。入社当時の厳しい状況から立ち直りと社長就任からここに至るまでの、まさに山あり、谷ありである。
予定を1か月遅らせて結局8月にオープンしたが、全室170弱ほどの部屋が3部屋しか稼働しないという有様であった。それでも代表は、「3部屋の稼働が半年の間に30% の稼働率と、上向きにしかならない」ので、気持ちとしては幾分か楽だったという。
コロナ禍になっても、その逆境に負けず、本社の改装を通じてコワーキングスペースの提供を始め、テイクアウト可能な「縁道カフェ」の運営も手掛けるなど同社は常に前向きだ。こういった姿勢や対応は、同社の有する長い歴史や山根代表が入社してからの困難な時期を乗り越えてきた経験によるものだろう。
建設業界へ想うこと・地域まちづくりへのビジョン
2020年から(一社)建設業協会の会長となった代表は、現在の建設業界を憂う。現在470万人が従事する建設業界では、10年後には350万人へと減少が予測されているとのこと。施工管理を含む現場人材の不足、女性の働き手が少ないこと(他業界では30-40% でも同業界の女性就業率は17-18%、技術職では2%)、技術系高校の建築建設系学科の定員割れなど、深刻な問題に直面している。山根代表は社内の働き方や人員体制の見直しを行い、同社から業界の魅力を情報発信して少しでも問題解決を図りたいと様々な取り組みを進めている。
今年50歳を迎える代表は家族のためにもまだまだ会社を牽引していくという一方、そして同社の長い歴史における世代交代もきっちり見据えている。同社の将来のためにも、グループの会社における次世代のリーダーを育成する重要性をしっかり把握しており、今後10年以内で育てていく考えである。それも、将来に亘って地域や地域の人の縁と共に川崎のまちづくりに貢献できるよう同社を持続発展させていきたいという代表の思いからだろう。
昨年には、京急川崎駅西口地区に「アリーナシティプロジェクト」という大型複合施設の建設計画が始動し、新たなまちづくりの機会となっている。同社は地域との連携を深め、川崎の発展に貢献していくことを常に目指している。今後も日々進化する川崎のまちづくりは、次の山根工務店の120年と共にある。