産学公・市民グループとの連携で次々とエコ商品を送り出す
社長 北川 不二男
事業内容 | プラスチック部品・製品の製造・販売 |
企業名 | 光明理化学工業 株式会社 |
創業 | 1947年(昭和22年)8月 |
所在地 | 川崎市高津区下野毛1-8-28 |
電話 | 044-833-8900 |
代表 | 北川 不二男(キタガワ フジオ) |
URL | http://www.komyokk.co.jp |
光明理化学工業はガス検知管の草分けであり、創業以来、トップメーカーとして走り続けている世界的な企業である。化学工場の工程管理用迅速分析法に端を発し、作業環境の有害ガス測定、オフィスや学校の二酸化炭素測定器などの他、化学工場やLNG運搬船などの危険・有害性ガスの検知警報器、自動車車検機器など幅広いジャンルに事業を広げている。「1947年の創業以来、ガス検知管を通じて労働環境改善に寄与してきた。」(北川不二男社長)と自負する同社の歴史は戦後の労働衛生史とも重なる。我々の日々の業務環境を下支えしている産業界になくてはならない存在だ。
ガス検知管の代名詞「北川式」を開発
光明理化学工業の基盤となっているのが「北川式」で知られる北川式ガス検知管である。大型の注射器に似た形状で、検知管とガス採取器の2部で構成された測定器具。ガス採取器に接続した検知管を通して試料空気を吸引し、検知管の変色層の長さで、濃度を測定する仕組みだ。吸引された空気中の有害ガス成分と検知管に充填してある薬剤が反応して変色し、変色先端の濃度目盛りで有害ガスの濃度がわかる。測定時間は1分から4分程度。
このガス簡易測定技術をもとに有機溶剤や有害ガスの作業環境測定用検知管、生活環境向けホルムアルデヒドなど室内環境汚染物質測定、大気環境や水質用の検知管等にも展開している。
一方で、ガスセンサを用いた可燃性ガス検知警報器、有害ガス測定器、自動車排ガス測定器などを開発、産業から生活、地球環境に至るガスの簡易測定について製品・サービスをトータルで提供できる体制を整えている。しっかりと安定した経営基盤の秘密がここにある。
戦後1年で創業
終戦直後の食糧難時代に化学肥糧「硫安」(硫酸アンモニウム)の製造工程で、反応を阻害する有毒ガス硫化水素の迅速な分析法として1946年に開発されたのが北川式検知管だ。発明したのが当時の商工省東京工業試験所(現在の産業技術総合研究所)に勤務していた北川社長の実父である北川徹三博士で、同社の代名詞である北川式とは後年いつとはなしに呼ばれるようになったもの。ちなみに北川社長が生まれたのも同じ年である。
検知管法は従来の化学分析法と異なり原理的に優れた特色を持っていたので、他のガスへ展開されて硫化水素に続いて短期間にアンモニア、亜硫酸ガスなど4種類の検知管が完成した。
これを工業化したのが初代社長の津村清太郎氏である。津村氏は北川博士の岳父にあたる。満州より引き上げ船で帰国後、起業を目指して上京したのが1947年5月下旬、東京工業試験所を訪れ検知管製造技術の実施許可を得て会社設立まで2ヶ月余り、東京目黒区に社員10人で本社工場を立ち上げたのは同月26日と終戦からわずか1年のことであった。
創業後数年は収益面で苦戦したものの、小型軽量で誰が使っても精度が高く、動力源も不要と現場での使いやすさが評価され一気に広まった。労働基準法の制定および労働省の発足による「安全および衛生への取り組み」も追い風となった。作業現場での有害ガスに対する許容濃度が定められ、例えば一酸化炭素は100ppm、二硫化炭素2ppm、青酸ガス20ppmといった当時の基準値が指定され、同社の経営方針にも影響を及ぼし、検知管の種類も拡大した。特に一酸化炭素検知管の普及は初期の発展の原動力となった。当時の国最優先事業の炭鉱、製綱現場で、一酸化炭素濃度監視用に採用。更に空襲で破壊された都市ガス供給網の整備に安全管理用として導入された。これは致死性の一酸化炭素を含む当時のガス供給設備回りの漏洩管理に広く普及し、上下水道管などの工事に伴うガス管の破損、ガス漏洩が懸念から現場で活用されることとなる。また、中国への一酸化炭素検知管の大量輸出が同社の躍進に拍車をかけた。
日本の産学連携の草分け
北川徹三博士は49年に横浜国立大学教授に転身し、研究活動を本格化した。研究室で新たなパートナーを得ることで研究スピードは加速し、測定対象のガスの種類も急増した。研究成果を実社会の産業安全衛生に活かす同社と横国大の関係は産学連携の先駆けでもあった。
危険・有害ガスによる中毒、爆発災害の防止を目的とする同社のガス検知器は日本だけでなく、米国、欧州、中国などへも普及し、50年代後半には検知管の生産量100万本を超えるまでに拡大した。56年には検知管法の発明と産業界での実績に対して生産工学・生産技術で優れた業績を表彰する大河内記念技術賞も受賞している。「化学肥料の時代から石炭、重化学工業の比重が高まり、その後が石油・ガス、自動車の時代と変わってきているが、使用される化学物質も次々と変わってきており、これらに対応した製品開発が当社のビジネスモデルで、この経営方針は今でも変わっていない」(北川社長)。検知管の種類は測定対象物質、濃度範囲の違いを含め300種類を超えている(2011年現在)。 そのほか産業安全の分野では漏洩による爆発や中毒防止のため、日本初の接触燃焼式可燃性ガス検知警報器や定電位電解式毒性ガス検知器、赤外線式ガス測定器、半導体式ガス検知器などオリジナル製品を次々に投入。赤外線式ガスセンサを発展させた自動車排気ガステスター、これから発展した車検機器コントローラーなどにも積極的な展開を図っている。ユニークなところでは飲酒運転取締用の呼気中アルコール測定器や地球深部探査船「ちきゅう」のガス検知警報システムにも同社の製品が採用されている。
生産は国内、市場は海外
また、需要拡大に合わせて工場も川崎市に玉川工場(1964年設立)、福島県会津坂下町に製造子会社の会津光明を設立(1970年)するなど生産体制を固め、随時増産を図ってきた。2006年7月には測定器の生産を会津光明に移転し、本社を目黒区内から玉川工場に移転。11年10月には会津美里町に新工場を建設、震災後の福島県の産業復興にも一役買っている。生産プロセスは試薬の充填作業を除いて、ガラス管内径の精密測定、充填後の溶封、目盛印刷などは全て自動化が進んでいる。生産工程では、多くの種類の危険・有害ガスについて微量濃度の信頼性の高い試験用ガスを作製することが最も重要なプロセスであり、また、検知管に封じこむ薬剤として、これらの微量ガスを瞬間的に吸着させ鮮やかな呈色反応を示す反応試薬、反応場のコントロールが高度な品質を保つのに不可欠な技術である。これらの製造プロセスを海外に出すことは考えていない。むしろこうした技術を他の製品に生かす方向で検討している。 今後の重点戦略としてはガスセンサの海外市場への展開だ。北川式検知管は世界各国で使用され、KITAGAWAブランドは既に世界的に名が通っているが、ガスセンサについてはまだ国内販売が大半である。米国の販売子会社、代理店網の協力を得て海外の展示会などを通じ、検知管以外の製品についてもKITAGAWAブランドのグローバル化への取り組みを急ぐ考えだ。