熟練の筆で命が宿る食品サンプル
社長 田中 司好
事業内容 | 美術食品模型の製造及び販売 |
企業名 | 有限会社 つかさサンプル |
創業 | 1973年(昭和48年)5月 |
所在地 | 〒216-0012 川崎市宮前区水沢3-3-15 |
電話 | 044-976-0828 |
FAX | 044-976-7851 |
従業員 | 6名 |
代表 | 田中 司好 (たなか しこう) |
資本金 | 300万円 |
URL | https://www.tsukasa-sample.net/ |
宮前区の住宅街の中に「蝋工房」と表札のかかった建物がある。そこには“蝋”のイメージからは遠い、生クリームたっぷりのバースデイケーキや、ケチャップも鮮やかなオムライスなどの食べ物が所狭しと並んでいる。実はここ有限会社 つかさサンプルは、飲食店のウィンドウに飾られる食品サンプルを制作している会社である。この道49年の田中 司好代表の手作業から生み出されるサンプルのリアルな質感は驚くべきもので、店員が間違えてケーキやカステラのサンプルを売ってしまう程である。
魚にこだわり技術を磨く
食品から取った型に蝋(パラフィン)を流し込んで成型し、着色を施して制作する食品サンプルは、一説によれば日本独自のものと言われ、岐阜県郡上市が、知る人ぞ知る発祥の地である。そんな郡上市に生まれ育った田中氏であったが、幼少の頃は食品サンプルに特段の興味もなく育った。しかし親戚の紹介で1961年に大田区蒲田の食品サンプル会社に就職すると、直ぐにサンプル制作の虜になった。根っからの凝り性である田中氏には天職であったのかもしれない。毎日夢中で制作し、数をこなしながら技能をどんどん修得していった。
当時は日本が高度経済成長期に差し掛かった頃で、1964年の東京オリンピックや1970年の大阪万博などで食品サンプルは世界中の人々に人気で、仕事には事欠かなかった。仕事する上では、料理そのものの素材を活かすことを心がけた。田中氏は、「技術を高める秘訣は、見て覚えることにある」と断言する。凝視し過ぎてショーケースに眼鏡をぶつけることも一度や二度ではなかった。一緒に食事に行くとなかなか箸を付けずに料理を見続けるため周囲の人には嫌がられた。
特に和食には、線一本の重みが求められる繊細さがある。その中でも難しいと言われる魚の制作に田中氏は傾倒していく。魚の模様は、産地によっても違う。例えばサバは九州のものが関東のものより模様が細かい。天然物か養殖物かによっても色や顔つきが異なる。焼魚においては、焼色をつけるスプレーの加減にも気を配った。そんな努力が実り、大阪万博の会場には田中氏の制作した“鯛”が選ばれて持って行かれたこともある。このような時期までは、職人の力を発揮できる仕事も数多くあった。一方で、東京オリンピック以後は、レストランや焼肉店の出店数が増加し、食品サンプルの需要も急激に高まる。質よりも量が求められると会社員の立場上どうしても生産中心になり、技を高められるような仕事をする余裕がなくなっていた。
田中氏は職人としての決意を胸に、1973年に独立する。自由な制作を求めたものの、現実は経営者として仕事を取って来なくてはならない。開業後10年近くは、食堂への飛び込み営業もした。休みも取らずに朝の暗いうちから夜中まで作業することも日常茶飯事であった。しかし苦労を感じたことはなかった。そんな生き方を選んだのも、万博の鯛を作った時の充実感が忘れられなかったからである。
魚を制作出来る職人は、数少ないと言われている。例えば、目の部分一つをとってみても、目の部分を彫り込んで、赤みを筆で入れて樹脂をかぶせて目の周りを色付けする複雑な工程を経なければならない。鱗は一つひとつを筆で着色していくという手間のかかる作業である。リアルさを追求するとここまでやらなくては気が済まない。商売でやっていることを忘れる時もある。そんな気持ちが前面に出ているのか、職人仲間からは「やっぱり田中さんといえば“鯛”だよね」などと言われる。そういった田中氏ならではの繊細な技術が評価され、リピートオーダーが入るようになり経営は安定する。また、昔の顧客がわざわざ田中氏を探し出し、仕事を発注してくれたこともあった。
サンプルの利用シーンと技術の変化に対応する
時代の流れと共に、食品サンプルも大きく変わってきている。最近の一番の大きな変化は、利用シーンにあると思っている。今まで考えもつかなかったアイデアでサンプルが用いられるようになった。実際には存在し得ないものも制作することもある。テーマパークのディスプレイ用として、ぶどうの房のようにツルから生っているプチシュークリームを仕上げた。また、食品サンプルは国際的に浸透してきている。現に外国からの旅行者の土産として寿司のサンプルが人気となっている。
技術的には、型が寒天からシリコンに替わり、原材料も劣化しやすい蝋からソフトビニールなどの合成樹脂に替わっている。質感や用途に応じ合成樹脂も数種類から選定してサンプル制作している。それに伴い使用機器・型材・着色剤も変化しており、日々の研究が欠かせない。そういった研究の結果、毛ガニのサンプルでは毛の一本一本まで再現できるようになった。質感を出すための材料選定は長年の試行錯誤に裏打ちされている。しかし、材料だけではサンプルは作れない。型取りや着色などは1~2年の経験ではできず、素材一つひとつの色の違いを認識できるようにならないと一人前とはいえない。もちろん「見た目のおいしさ」に込める気持は不変である。おいしさを伝達する悩みを解消するため、食品サンプルを制作しているという自負がある。そのためにはお客さんからの修正依頼は即座に対応し、反省もする。カレーライスのサンプルでは見栄えのよさを追求し、とろけたチーズや具材の1つ1つがルーに絶妙に絡み合っている質感が表現できるようになるまでやり直しをかけた。ほんの5mm程の違いでも完成品の雰囲気は変わってしまうので、見たものをどうやって作るかを四六時中考えている。細かくなればなるほど燃える職人気質と仕事ぶりが評価され、田中氏は平成21年度の“かわさきマイスター”に認定された。認定後は、時間の許す範囲で中学校からのサンプル制作体験などを受け入れ、後生にモノづくりの楽しさを伝えている。
次世代からの刺激を受けて、職人魂を燃やす
同社では、田中氏の息子2人も働いている。長男は営業を担当している。食品サンプルの会社としては、先駆けて2001年にホームページを自力で開設し、2005年にはウェブショップもオープンした。今ではインターネット経由の受注が全体の3割近くを占める。また2006年からは、ウェブショップで中古のサンプルや携帯ストラップを販売するなど、若い発想を発揮している。一方、二男は、職人としてサンプルを制作している。調理師の専門学校を卒業しており、本物の料理の作り方や盛り方などを心得ているため、職人の先輩である田中氏とは異なった観点を持ちこんで、お互いに想像力を刺激して作品制作を進めている。
世代交代も考えてはいるが、いまだに時間を惜しまず現場に立っている。今後は、魚の尻尾の先などを出来るだけ薄く作る技法を確立したいと考えている。孫の話をするときには表情が緩む田中氏も、仕事となれば息子たちにはまだ負けたくないと職人魂を燃やし続けている。