製造力を結集した確実な動作のラベル剥離機で製品の安全表示に貢献
代表取締役会長
佐藤 恵樹
事業内容 | 印字機付ラベル剥離機・自動組立機オートラベラー他の設計・製作・販売 |
企業名 | ユニック産業 株式会社 |
創業 | 1975年(昭和50年)8月1日 |
所在地 | 川崎市高津区宇奈根779-2 |
電話 | 044-844-5663 |
従業員 | 15名 |
代表 | 佐藤 恵樹氏(サトウ ケイジ) |
URL | http://www.unickk.com/ |
食品や民生機器など消費者が手に取る製品には、品質に関する説明が求められる傾向が強くなっており、賞味期限等を表示するラベルシールや開封が確認できる証拠シールが貼りつけられていることも多い。薄いラベルをシートから人手で剥がして貼り付ける工程を全自動化することは難しく、省力化の強い味方になっているのが半自動型のラベル剥離機である。累計で5万台を超える剥離機を市場に投入しているトップメーカーの一社であるユニック産業株式会社の佐藤代表にお話を伺った。
現場の使い勝手を踏まえたシンプルな機構のラベル剥離機を開発
同社は、1975年に技術者の磯部勝氏により設立され、すぐにラベル剥離機を上市した。以来、様々なアイディアを加え、82年には当時としては先駆け的にコンピューター制御による特殊捺印機及びドットプリンターなどのラベル印刷装置も開発した。しかし、後発メーカーがコンピューター用熱転写プリンターを出してきたことから、いち早く潮目の変化を察知し、プリンターからは撤退、ラベル剥離機に特化することにした。電子機器の普及とコンパクト化、食品の安全性の高まり等の流れから、表示用ラベルは多用途化し、種類も増えていた。特化しても十分な規模があり会社は大きく成長していった。
ラベルを決まった長さで送り出す剥離機は、一見すると簡単そうに見える。しかし、ロール状に巻かれた様々な形状のラベルに一定のテンションをかけて、同じ位置に引き出すコントロールは思ったより難しい。複雑な制御システムに頼らずシンプルな機構で、停止位置を数十μmという高い精度に維持することを実現している。過去には外観を完全にコピーした製品も出たが、同社が大企業と共同開発したセンサーが競争力となり追随を許さなかった。
機能性は増やさず剥離性を追求した製品は、開発当時から設計思想は変わらないものの現場からの強い支持を維持している。35年使い続けても壊れていないものがあるなど非常に高い耐久性を有し、コンパクトで安価かつ可搬性にも優れ、高速に剥離できることが好評であった。佐藤氏は「更新需要が少ないので、儲けることは難しいですが、それでも長く使い続けていただけることが有難い」と語る。
技術力と対応力が認められ製造委託を請けたことをきっかけに事業承継
現在では、インク式や熱転写式のラベル剥離機が主力製品で、筆記用具の楕円形状のラベル、携帯電話のラベル、ホログラムシールなど多種多様なラベルに合わせて使える。
本業は堅調であった同社だが、一つの問題を抱えていた。創業から40年、事業承継の問題が避けられなくなっていたのだ。剥離機を保守するためにも事業継続は必須であったが、後継者確保の有効打を打てずにいた。
同社には、数社の製造委託先があり、2010年前後に新たに委託先となったのが、川崎市高津区の(有)津田山製作所であった。津田山製作所は、もともと旋盤加工による金属部品製造が主要業務であったが、創業者の子息であった佐藤恵樹氏が1990年に入社すると新事業を立ち上げた。古くからの知り合いの経営者に勧められて、佐藤氏は産業用装置の組立を請け負い始めた。未経験ながらも「依頼された仕事はNOと言わない」という決意の下、勉強しながら一つ一つの仕事をこなしていった。そうすると、依頼元は「安心して任せられる上に自分たちの仕事も減らせる」とメリットを強く感じ、「楽をさせてもらえる」という津田山製作所の評判は口コミで広がっていった。ゼロからのスタートであったが、駐輪場システム、プリント回路基板の半田槽、制御盤など組立・製造の新事業は、徐々に拡大していった。
2010年に佐藤氏は津田山製作所の2代目社長に就任する。しかし、順風満帆な門出ではなかった。就任時に、改めて見直した決算書には、厳しい数字が並んでいた。更に、社長交代を金融機関に報告しにいくと、その数字以上に厳しい言葉を投げかけられた。タイミングが悪いことに、電気機器の事業も主要取引先の調達方針が変わり、頼みの事業の売上高も激減していたことが追い打ちをかけた。「なにくそ」という気持ちで発奮した佐藤氏は、退路を断った。祖業である金属加工の設備を全て売却して、電気機器事業一本に絞った。天性の営業力と対応力を活かして、佐藤氏はV字回復を成し遂げていった。そうするうちに津田山製作所への委託をやめたことで「楽をできなくなった」取引先も戻ってきた。また、組立に留まらず、設計のできる人材を採用して、産業用電気機器の設計から組立・検査までワンストップ対応できる会社へと転換した。
そのような時期に、地域の知り合いを通じて、ユニック産業との縁が出来た。それまで同社には製造部門があり自社でラベル剥離機を製造していたが、津田山製作所の実力を知ると製造部門を縮小して、改造や特殊仕様対応まで全て委託するようになった。このような形のやりとりが数年間続いた後、「ユニック産業を買収してほしい」という打診を佐藤氏は受けた。企業買収などは今まで縁がなかったが、持ち前のチャレンジ精神が「メーカーとなりたい」という以前からの意思を後押しして、買収を決断した。
地域連携で開発力を高め、グループ経営で技術人材を引き付けて拡大していく
2017年に買収が成立し、佐藤氏を代表とする新しいユニック産業は、久しぶりの新製品LH-1を発売した。ラージサイズのラベルに対応しながら、全長357mmとコンパクトな寸法にまとめた津田山製作所の設計・製造力が活かされた製品である。「ユニックの製品は、今までアナログの良さが評価されてきたが、今後はデジタル化も進めたい」と語る佐藤氏は、更なる開発も進めていく。
そのためにも、地域での連携を重視している。2017年に近隣の(株)和興計測、(有)岩手電機製作所と津田山製作所の頭文字をとって、WITと名付けた開発組織で、大手ゼネコンの清水建設の知的財産を活用して、天井内や床下等の暗い隠蔽部を明るく簡単に撮影するための照明装置“Panoshot R”を完成させた。その中で佐藤氏率いるチームは、設計や試作に中心的な役割を果たして貢献した。装置とは異なるモノづくりに関わり、技術力も向上した。完成時の記者発表では「あまり表に出るのは得意ではない」と遠慮がちにしていた佐藤氏であるが、「人材を育成し、任せて、拡大していきたい」という大きな事業展望がある。
展望実現の方策として、グループ経営を強化している。2018年には、フィリピンに電子機器向けのワイヤハーネスの製造会社である「ヒカリエレクトロニクス」を設立した。佐藤氏は、社長交代時に味わった悔しさをバネにしてきたが、近年そのようなバイタリティが無くなっていたことを物足りないと感じていた。海外進出したことで仕事への活力が再び湧き上がってくるのを実感している。社員と「次の展開はどうしよう?」と語らうことが目下の楽しみになっている。
製品のユニック産業、組立の津田山製作所、部材のヒカリエレクトロニクスの事業シナジーを追求することで、「幅広い技術人材が集まった企業グループにしたい」というビジョンへ向けて佐藤氏は歩みを進めている。