“川崎を元気にしたい”多摩川を活かすクロスオーバー構想
代表取締役社長 青木 康洋
事業内容 | 自動車部品の企画・販売ほか |
企業名 | 株式会社 リベラルコーポレーション |
創業 | 1983年(昭和58年)12月 |
所在地 | 川崎市高津区千年792-1 |
電話 | 044-753-0166 |
従業員 | 5名 |
代表 | 青木 康洋(アオキ ヤスヒロ) |
URL | http://liberal-aero.com/ |
高齢者の歩行能力の評価サービス、医療機関への防護服の寄付、市内企業へのビジネス仲介など、リベラルコーポレーションの活動は多岐にわたる。しかし、本業は自動車のカスタムパーツの企画・販売である。なぜ自動車と関連しない活動を手掛けているのか。その答えは“川崎を元気にしたい”との青木社長の思いにあった。川崎を愛する社長は多いが、ここの社長は一味違う。そんな青木社長に熱い思いを語ってもらった。
コアなSUBARUファンが全国から駆け付ける店
リベラルコーポレーションは、SUBARU社製の自動車に特化したカスタムパーツの企画・開発・販売を手掛ける川崎の企業である。「LEGACY」、「IMPREZA」、「FORESTER」、「EXIGA」等の車種に対応しており、例えばLEGACYの場合では、歴代7モデル、19タイプの車種全てに専用のオリジナルパーツを提供している。
主力製品には、マフラーやブレーキキャリパーなどの装備品、ヘッドライトシステムなどのLEDパーツ、スポイラーなどのエアロキット等がある。人気はカーボン繊維を独自にあつらえた、シフトノブやスイッチ類などのプレミアム内装品で、これらは一モデルにつき20種を超える豊富なラインナップが用意されている。
主な販路は、高津区千年の市民プラザ通りに 面した本社ショールームである。通信販売や業者販売にも対応しているが、全国のSUBARU販売店やカー用品店からの紹介を通じて、大阪や仙台などの遠方から、コアなSUBARUファンが愛車を飛ばし、水平対向エンジン独特のエキゾーストノートとともに、連日ショールームまでやってくる。
プレミアム内装品
川崎を元気にしたい
リベラルコーポレーションの創業は1983年に遡る。父親の現会長が、横浜市都筑区に自動車の修理とパーツ販売を手掛ける「青木商事」を設立したことに始まる。当時は横浜の本店と川崎に二つの支店を構えていたが、バブル崩壊の影響により現在の地に本社とショールームを集約し、再出発にあたり社名を「リベラルコーポレーション」と変えた。そして、SUBARU社製の自動車カスタムに特化することで、順調に事業を拡大させてきた。
しかし、2020年に事業を引き継いだ青木現社長は、これまでの事業を継続させる一方で、医療・福祉事業、ビジネスマッチング事業などの新規事業の開拓に積極的に取り組んでいる。これらの新事業に共通する思いは、「川崎を元気にしたい」である。
例えば、医療・福祉事業では、医療機関やメーカーとともに「歩行解析システム」を使って武蔵新城の商店街で高齢者の歩行能力の評価を無料で実施している。その背景には、介護施設や病院におけるリハビリトレーニングを支えると同時に、地域のお年寄りのADL(日常生活動作)の維持・向上に貢献したい、つまり、お年寄りを始めとする川崎の人々を元気にしたいとの思いがある。
また、昨年から医療用のアイソレーションガウンの製造販売も始めた。そのきっかけは、新型コロナによって医療機関向けの防護服が不足したことにある。“何か中小企業にできることはないか”と知恵を絞り、不足していた不織布の代わりに、傘の生地を使用することでアイソレーションガウンの生産に急遽こぎつけた。
これまでに2,500着のガウンが川崎市に寄付され、市内の医療機関で使われている。川崎を元気にしたいとの熱い思いが、防護服不足の問題解決に一役買ったのだ。
ビジネスマッチング事業では、全国の中小企業のニーズと市内企業とのマッチングを進めている。取り扱う案件は、発酵食品の開発、抗ウィルス型福祉車両開発、人気アイドルのプロモーション等と幅広い。こうした活動も、新たなビジネスチャンスを紡ぐことで、川崎の中小企業を元気にしようとする取り組みである。仲介に要する費用もほとんど取っていないと言う。
情けは人の為ならず
川崎をとことん応援する青木社長だが、その背景について話を伺った。
「実は、生まれも育ちも横浜ですが、会社が川崎にあったことや、幼い頃から多摩川に通って遊んでいたことで、市民感覚に近い感情を持っていました。何よりも、川崎で出会った仲間たちがとても魅力的で、彼らのパッションに強く惹きつけられた部分もあります。それがいつしか横浜よりも、川崎に対する思いに変わったのだと思います。」仲間の影響力はかなり強力だったようだ。
営利企業でありながら、奉仕的に取り組んでいる新規事業の考え方についても話を伺った。
「新規事業から新たなビジネスが生まれるといいのですが、今すぐマネタイズすることは考えていません。それよりも、活動を通じて得られる人脈こそが将来のための財産であり、川崎の方々に恩義を買っていただいた時点で、当社の企業価値の向上に繋がります。つまり、川崎を元気にすることで、巡り巡って当社の発展や将来の収益に繋がると考えているのです。」
青木社長は力強く語ってくれた。“情けは人の為ならず”の諺を地でいっているようだ。“言うは易く行うは難し”かも知れないが、短期的に収益を求めるばかりでなく、10年20年と長期的に物事を見つめる戦略も企業経営には必要だ。
アウトドアを取り入れた「クロスオーバー防災事業」
現在、青木社長が構想を練っているのが、多摩川における“防災”と“アウトドア”を融合させた「クロスオーバー防災構想」である。
「震災を契機に各地で防災公園が整備されていますが、いざという時に防災用品を使えるようにするには、日頃から道具を使う“体験”が必要です。近年ではアウトドア愛好者が増えていますが、多摩川の広大な河川敷や周辺の緑地は絶好のロケーションです。体験を防災訓練と言ってしまうと面白みに欠けますが、アウトドアや遊びとなれば、人々の関心も寄せられると思います。そこで、多摩川周辺の敷地を防災公園、輸送インフラとして整備しつつ、日頃は火起こしや自炊、テント泊などを体験できる、アクティビティ拠点として開放できないか、現在可能性を探っているところです。」と青木社長は構想を教えてくれた。既に新たなアウトドアブランドの立ち上げにも着手しているらしい。
確かに、アウトドアを体験していれば非常時の対応力が上がりそうだ。きっと子どもたちも喜ぶだろう。アウトドア好きには夢が膨らむ構想だ。しかし、実現は容易ではなさそうだ。一級河川の多摩川は国が管理しており、防災やインフラ整備となると都市計画の領域にも及ぶビッグプロジェクトだ。
それでも青木社長の目は輝いていた。困難は承知の上で、10年20年とかけてでも、幼い頃から慣れ親しんだ多摩川を活かしたいと言う。
1960年以降の多摩川は、川面を白い泡が埋め尽くすほど汚染が進み、多くの生き物が姿を消した。しかし、近年では驚くほどたくさんのアユの姿が見られるようになった。アユは清らかな流れに棲むことから“清流の女王”と呼ばれている。数十年にわたる水質改善の努力によって多摩川は見事に再生した。
クロスオーバー防災構想は、こうした多摩川のポテンシャルをさらに引き出そうとする挑戦でもある。道は厳しく実現には時間がかかるかも知れないが、それは青木社長からの多摩川への恩返しなのかも知れない。