有限会社 樋口製作所

受け継がれるプレス加工アイディアが光る 試作から量産までの機動性高い対応

 

 

 

 

 

代表取締役 樋口 鉄也

事業内容 プレス・ヘラ絞り・板金加工業
企業名 有限会社 樋口製作所
創業 1970年(昭和45年)9月
所在地 川崎市宮前区西野川3-31-10
電話 044-766-0711
代表 樋口 鉄也(ヒグチ テツヤ)
従業員 4名
URL https://www.higuchi-ss.co.jp/

宮前区の住宅街の坂道を登って行き、息が上がりかかるかというところに一軒の町工場がある。歴史を感じさせる建屋の中を覗くと、年季の入った小型のプレス機械が並び、小気味よく小さな金属部品を抜く音が響いている。いざ工場の中に入ると、真新しい輝きをみせる赤いレーザー加工機が、スムーズな動きで複雑な形状の板金部品を淡々と抜き出している。新旧のコントラストが印象的なその町工場、樋口製作所は、小規模ながらもプレス加工と板金加工に対応し、それに加えて、家族総出で培ってきた加工アイディアをもとに、コストバランスに優れた金属部品を製造してきた。樋口製作所の2代目アイディアマンの樋口鉄也社長に同社の歩みを伺った。

プレスの生き字引だった先代が、家族経営で引っ張り上げていった成長期

同社の創業者である樋口忠男氏は、出身地の群馬県から1957年に親族の金属部品製造会社への就職を期に川崎へと上京してきた。持ち前の手先の器用さがあった同氏は、程なくしてプレス加工の工場長として現場を切り盛りするようになった。また、職人気質もあったことで、金属加工の仕事にのめり込み、いつしか「生き字引」と呼ばれるぐらいになっていた。

探求した加工ノウハウと漲る自信に背中を押されるように、1965年26歳のときに独立して、宮前区西野川の自宅に隣接する形で樋口製作所を創業する。確実な仕事ぶりが認められ、照明機器メーカーや自動車部品メーカーからプレス加工の仕事を受注でき、順調な滑り出しで同社は立ち上がった。時は高度経済成長期にあり、昼夜問わず、ひたすらプレス機のペダルを踏み続けた。職住近接していたこともあり、前職時代から支えてくれていた糟糠の妻と「どちらが沢山作れるか?」と競争をするなど家族でものづくりに没頭した。

そんな環境で、プレス機の音を子守唄代わりに育ったのが、長男の鉄也氏であった。忠男氏が会社の将来を見据えた意図もあったと思われるが、鉄也氏は中学、高校になると本格的に工場での手伝いに駆り出されていた。鉄也氏いわく「会社を継がせるための洗脳だった」という忠男氏の意図が通じたのであろうか、卒業後の進路では樋口製作所を直ぐに継ぐことはなかったが、自然とものづくりの仕事を選んでいた。入社した旋盤加工の会社では、修業のつもりでものづくりに向き合っていた。そうして3年ほどが経ち、会社にも慣れてきた頃にある出来事が起きる。ある日、忠男氏から勤め先の社長宛に1本の電話が入る。「うちの息子をいつまでおいておくのか?呼び戻したい」という電話だった。社長にも鉄也氏にも寝耳に水であったが、当時糖尿病を患った忠男氏が今後の会社を案じた末の行動であった。そうしたドタバタ劇の末、鉄也氏は樋口製作所に入社し、また、出産を終えた姉の金子康子氏(現常務)も加わり、家族総出での仕事が始まった。

毎週1回は、ある部品を夜10時までかけて製造し、わずかな仮眠をとってから、忠男氏と鉄也氏が自ら車を運転して新潟の得意先に納品し、とんぼ返りしてくるタフな生活を送っていた。豪快だった忠男氏の勢いに引っ張られるように、生き生きとした時代であった。一時期は、20名近い従業員がいながらも家族的な雰囲気を大事にし、丁寧なものづくりをしてきた。

現社長はプレスと板金、絞り加工の技術を取り込み、常に工法アイディアを探求

樋口製作所の強みは、小規模ながらもプレスと板金の両方の加工の技術があることだ。もともとプレス加工専業であったが、高度経済成長期が一息ついた1975年に、その後の少量多品種化の流れを読み取り、板金加工にも技術領域を広げていった。

加えて、プレス加工は金型から自作可能で、金属板の小型部品の製作依頼を受ければ、工法の提案から量産まで幅広く対応できる。製品ライフサイクルが短縮化され、製品ラインナップ数が増加する傾向にある昨今、顧客である製品メーカーにとっては、部品の大量生産時に使われるプレス金型のコスト負担が大きく、金型製作の時期を見極めることが課題となっている。樋口製作所では、板金による試作からプレスによる量産まで一貫対応できることで、部品の製造数に応じて適切な加工法を選択できる。

その強みを支えているのは、技術的にチャレンジしていく社風である。他社で実現困難と判断する金属部品をコスト安に実現することを得意としている。「できないと言いたくない」という忠男氏のものづくりへの姿勢からの行動であった。同時に、金型の内製化、工法研究の場所作りなどの環境整備も進め、さらにプレス技術を高めていった。

同社の工場には、使いこまれた設備が多くみられる。言葉を換えれば、最新の設備が少ないということである。しかし、五感をフルに駆使して、「手を速くする」意識で段取りや動きの時間短縮に努めている。事務所で打合せをしていても、鉄也氏の耳は工場の機械の動作音の異常を聞き分けている。いつもと違った音を聞くと、速やかに現場に出て行き、トラブルに対応している。そして高い品質を維持している。その要諦を鉄也氏は、「慣れが危険。当たり前のことをしっかりやればよい」と事も無げに語る。こういったことで製造効率を高めつつも、機械の償却費が転嫁されないことで、高いコストパフォーマンスを維持している。

そして2006年35歳となった鉄也氏が社長に就任した。先代の技術を探求する精神は、しっかり引き継がれている。2012年からは、へら絞り加工も取り込んだ。鉄也社長のアイディア力が支持されて、「こんなものができないか?」という相談が多く寄せられる。

アイディアを具現化できる設備を得たことで自信をもって、外向きに情報発信

2019年に新たにレーザー加工機を導入した。従業員4名の同社には、負担は小さくなく、悩ましい投資であった。しかし、これからの樋口製作所の在り方について、役員で議論を重ね、覚悟を決めた。最近では、インターネットによる金属加工品の受発注プラットフォーム事業者などからの試作案件が増えている。こういった案件で求められる特殊形状の穴開けなどは、レーザー加工機で対応でき、仕事の幅が広がっている。鉄也氏は、「今まで作りたいと思ってもできなかったことがあり、一種の心の苦痛であったが、レーザーが来てからそういったことがなくなり、逆にやりたいことがどんどん出てきた」とアイディアマンぶりを加速させている。

これからは、そういった会社の強みを外向きに発信していくことを強化していく。近年、ホームページなどを使った情報発信やテレビや新聞などのメディアに取り上げられたことで問い合わせも増え、流れがよくなっていることも感じる。

「願いを声に出すことで、一つ一つ実現していきたい」と社長を支えてCAD等を担当する金子常務は語る。1997年に亡くなった先代に姉弟で前向きに取り組んでいる樋口製作所の現在の姿が届くように。

当社で製造したプレス加工部品

川崎市産業振興会館
トップへ戻る