満寿産業 株式会社

創業86年の実績と加工技術で顧客の要望にきめ細かく応えるステンレス専門商社

 

 

 

 

 

代表取締役社長 橋本 知彦

事業内容 ステンレス鋼板(厚板・薄板)、丸棒、型鋼等の卸売り・加工
企業名 満寿産業 株式会社
創業 1934年(昭和9年)
所在地 川崎市川崎区大川町12-2
電話 044-322-2311
代表 橋本 知彦(ハシモト トモヒコ)
従業員 11名
URL https://www.masusangyo.co.jp/

鉄に比べて軽量で錆びない特性を活かしてさまざまな分野で採用されているステンレス。今年で創業86年を迎える満寿産業㈱はステンレスの専門商社として川崎市を中心に事業を展開してきた。

ステンレス専門商社では京浜工業地帯で唯一の加工設備を持つ企業であり、小ロット、短納期の供給が可能で、顧客から高い評価を得ている。近年は協力企業と連携し、顧客の要望に応えて曲げ加工や溶接なども手掛けて納入する高付加価値化への取組みも強化しており、老舗の実績と経験を武器にさらなる成長に向けた一歩を踏み出している。

各種切断設備を所有し、特殊加工にも対応

満寿産業はステンレスを材料メーカーから仕入れ、素材を顧客に適切な長さに切断加工して提供する専門商社である。厚さ0.3~50mmの材料を扱い、顧客の要望に応じて最短1日の納期で供給することが可能だ。近隣にもステンレスの商社は複数あるが、川崎市周辺で加工工場を有するは同社だけで、これが大きな強みとなっている。加工設備はプラズマ切断機、レーザ切断機、シャーリング切断機、バンドソーと各種揃え、用途に応じて使い分け、少量多品種に対応する。取引先は大企業から個人商店まで様々で、業種は機械加工から製缶板金、エンジニアリング企業など多岐にわたり、登録している顧客数は約700社にも上る。

最近の傾向としてはステンレスを切断するだけでなく、顧客から素材を曲げたり、溶接したりして納入するケースが増えてきたことだ。顧客にとっては材料の購入と同時に前工程を削減できるメリットがある一方、供給側としても付加価値を加えて販売できる利点がある。同社では近隣の協力企業と組んで対応している。ベンディング(曲げ)加工機や溶接機、マシニングセンタ(MC)、旋盤、フライス盤などを有する加工会社と連携し、顧客の要望に迅速する体制を整えている。橋本知彦社長は「今後もこうしたニーズは増加すると見ている。徐々に自社にも切断以外の加工設備を揃え、顧客の要望に迅速に応えられるようにしていきたい」とし、加工メーカー的な機能を持つことも今後の目標の一つに掲げる。

副原料の輸入からステンレス専門商社へ 

同社の創業は1934年。橋本社長の祖父(重通氏)が日本冶金工業向けに石灰や蛍石といった副原料を輸入し、納入する貿易事業が出発であった。ステンレスのスクラップをグループ会社で手掛けるなど業容を広げる中で、日本冶金からステンレスの切断加工を依頼され、その後、「ステンレスの販売もやらないか」と勧められたことがステンレス流通業界へ参入するきっかけとなった。

本社は東京・新橋に置いていたが、日本冶金の川崎製造所へ納入するため1960年に川崎市内の大師河原に倉庫とシャーリング工場を新設(川崎工場)し、ステンレス販売及び切断加工に乗り出した。63年には工場を増設してプラズマ装置を導入するなど順調に事業が拡大し、76年に本社も川崎工場に移転。89年には本社工場を現在の大川町に移して現在に至っている。

橋本社長が同社へ入社したのは92年。大学卒業後、金融機関に3年間勤務し、家業を引き継ぐことを決心した。当時は貿易、ステンレス販売・加工、スクラップの3本柱だったが、徐々にステンレス販売の比重が高まり、ステンレス販売・加工に特化していった。「ステンレスの需要は仕向け先の変化はあるものの、堅調に推移。2007年には売上高17億円にまで達しました」(橋本社長)と専門商社として順調に成長していった。

リーマンショックを機に事業改革に着手

しかし、順風満帆の経営に大きな衝撃を与えたのが08年のリーマンショックだった。世界的な金融不安を背景に産業活動が停滞し、同社の受注も大幅に減少した。加えて、それまで高騰していた金属市況が一気に暴落したことが追い打ちとなった。リーマンショックによる受注減は短期間で回復したものの、市況下落は長引き「1kg 800円で仕入れた材料が3カ月後には600円に下落するような状況」(橋本社長)で、経営は悪化の一途。立ち直るまで3~4年を要した。

2011年に父(純夫氏)を継いで4代目に就任した橋本社長はこの経験を活かして経営の改革に着手した。まず、財務面では信用強化のため支払手形をやめることにし、受注ごとの原価計算を行う手法を導入するなど、財務体質の強化に取り組み始めた。「それまでは材料費の仕入れと販売価格を精査することなく、決算時に赤字受注が判明することも少なくありませんでした。このため加工時に排出するスクラップを定量的に分析してそれを原価に加えるなど受注ごとに原価を割りだすシステムを取り入れることで数字の見える化を図り、財務内容を抜本的に見直しました」(橋本社長)。ピーク時から売上高は大幅に減少したものの、収益構造も強化され、経営体質は急速に改善していった。

製造現場の多能工化で生産性を向上

また、営業、製造面では先代がこだわっていた個人商店主義を廃止する方針を打ち出した。「販売は営業マンの裁量に任せて成績を上げさえすればよいというのが先代のやり方でした。実際、良い面もありましたが、エリア制の方が効率は良く、顧客も多様化できるメリットがあります。さらに当社の場合、個人商店主義を製造現場にも採用しており、現場に採用されるとシャーリング、プラズマ、レーザなどそれぞれの持ち場だけを担当すればよかった。確かに技術は深められますが、仕事がどこか一つに集中しても応援できず、全体の稼働率は上がらない。これも見直す必要があると感じていました」(同)。

営業面では担当の見直しを進める一方、展示会への出展やホームページのリニューアルなどで他分野へのPRを強化。製造面では製造現場の多能工化も進めていった。担当者はルーティンで持ち場を変わり、工場内の全機械装置を扱えるように指導。社長就任後、3~4年かけて多能工化を実現した。これによって社員が急病などで欠員した場合や突然の注文にも対応できるようになり、生産性は大幅に向上した。

地域に貢献し、社員とその家族を幸せにする会社

今後の重点課題として挙げるのが営業力の強化である。同社は川崎、東京大田区、横浜市などで顧客の70%を占めている状況で、現在、営業は橋本社長と営業部長が担当している。地域に密着してきめ細かい営業ができる一方、新たな顧客獲得のためにはエリアを拡大していくことが不可欠。営業人員を増強し、神奈川全域に加えて、静岡あたりまで営業エリアを広げていく考えだ。

橋本社長は「当社の経営理念は川崎市を中心とした地元に貢献するとともに、社員とその家族を幸せにしていくことです。そのためにはまず会社として収益を上げることであり、その取り組みによって地域および社員とその家族に還元することが求められる。4年後には売上高を10億円までに引き上げることを目標にしており、積極的に営業人員の募集を進めて販売・サービスの充実を図っていきます」。ステンレス専門商社としての業容を広げつつ創業90年を目途にさらなる飛躍を目指す。

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