有限会社 新岩城菓子舗

お客様の一生に寄り添う地域密着型の和菓子店 88周年感謝祭には手紙付きの祝い花が店を飾る

 

 

 

 

 

女将  徳植 由美子(左)

若女将 徳植 洋円(右)

事業内容 和菓子製造販売業
企業名 有限会社 新岩城菓子舗
創業 1931年(昭和6年)12月
所在地 川崎市幸区南幸町1-1
電話 044-522-2721
従業員 5名
代表 徳植 健司(トクウエ ケンジ)
URL https://shiniwaki.com/

「普通の和菓子屋にはない商品を提供しています。お客様から『ありがとう』と言われるお店を目指して、お客様との一期一会を大切に商売しています」と語る由美子女将は明るく元気だ。

売れ筋商品は、毎朝作る出来立て「四代目の朝焼きどら焼き“朝どら”」、クリームチーズ入りスイートポテト「川崎ポテト」、卵白と豆乳のスポンジケーキに餡をサンドした「川崎とうふ」だ。

市内農家の苺を使った地産地消の季節商品「ジャンボいちご大福」が大人気

「当店の特徴は、一店舗の家族経営でお客様との関係が濃いことです。2019年12月に88周年を迎えました。地元密着型で多店舗展開は考えていません。市内農家の新堀ファームさんから仕入れた野菜を使った“ジャンボいちご大福”や“のらぼう菜どら焼き”など地産地消の商品販売は個人店の強みです。その日仕入れた野菜でその日に作って売り切ります。風味の良い苺に合うあんこは2種類あります。高額にもかかわらず、お客様から『最高傑作』と評価は高く、すぐに売り切れます。一度食べるとファンになってインスタグラムなどを通して口コミで周りの人に広げてくれます」と由美子女将は熱く語る。

「苺だけで食べるより美味しい和菓子を作って欲しい」という農家の期待に応え、四代目・健太氏は8種類のあんこで試食を繰り返した。

「ジャンボいちご大福」は2014年3月に発売後、初めは有名でなかったが、少しずつ売れるようになった。そのきっかけは地元情報誌への掲載やテレビ神奈川の番組での紹介だった。その後も多くのテレビ番組に取り上げられて問い合わせが毎日来るようになる。現在は電話で予約注文を受けているが、苺の入荷や数量はその日にならないと分からない。品不足のクレームが農家にまでいくようになり、由美子女将がフェイスブックなどSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に投稿するのを控えるほどだ。

「88周年感謝祭には多くのお客様から手紙付きのお花をもらえたことが何よりもうれしかったです。地域に根付いていることを実感しました」と語る由美子女将は満面の笑顔だ。

普通のお店は仕入業者からの祝い花が飾ってあるが、当店ではお客様からの祝い花が飾られていた。お客様に「100周年を目指して頑張る」と言うと、「90周年もやって欲しい」と言われたと嬉しそうに話す由美子女将は、マニュアルではなくお客様に寄り添った会話を心掛ける。

周辺の3つの小学校の3年生全員に“まんじゅう作り体験”を行っている。そうすると当店に子供達が立ち寄ってくれるようになる。カギっ子の憩いの場、塾に行く前の中継地点として立ち寄る子供達の見守りの役目も果たす。子供達からお年寄りまで幅広い年齢のお客様に和菓子を通して近くで向き合っている。

和菓子を作った経験がなかった三代目夫婦は和菓子を徹底的に研究する 

当店は、由美子女将の祖父で初代・三郎氏が昭和6年12月6日に現店舗の数件隣で創業した。初代・三郎氏は旧東海道川崎宿の和菓子屋で修業してのれん分けした。空襲で店を焼失し、終戦後に現在地で再開した。由美子女将の父の二代目・忠造氏は夢だった小学校の教員を5年間経験した後に店を継いだ。和菓子も作り続けていたが、二代目・忠造氏はアイスクリームや煎餅などのお菓子を仕入販売していた。当時は仕入菓子がよく売れた。1999年に二代目・忠三氏が60代半ばで若年性アルツハイマーを発症する。

「このままだと新岩城は無くなってしまう。何とかしなければ」と由美子女将は一念発起して三代目として店を継ぐことを決意した。お店を継いだ時に、「仕入菓子ではなく全て自分達で作った和菓子を並べたい。そして、他店が販売しているような生クリームを使った和菓子を作りたい」と由美子女将は思ったが、和菓子を作った経験は無かった。由美子女将は手始めに“主婦の友”に掲載されていたレシピを見ながら和菓子を作り始めた。桜の花びらを乗せた「合格まんじゅう」など新しい商品を作るとお客様が喜んでくれるので励みになった。父、祖父、祖母を介護しながら頑張る由美子女将の姿を見て、銀行員だったご主人の健司氏が2000年に店を継いだ。

和菓子を作った経験が無い三代目夫婦は菓子機械業者の講習会や菓子協議会の月一回の勉強会に参加した。また、材料業者の紹介で和菓子屋を見学して回り、作り方を教わった。小豆の煮方、砂糖の種類、配合量などあんこの作り方を三代目夫婦は徹底的に研究した。今では三代目・健司氏が作る大福やお餅はお客様に大人気だ。のし餅には石川県の新大正餅米、赤飯には新潟県の小金餅米など商品ごとに材料にこだわっている。

ターニングポイントは東大和市にある“菓子処赤城”代表の戸塚光治氏に出会ったことだ。お店の見学後に礼状を書くと47歳で和菓子屋を始めた戸塚氏が気に留めてくれて、商店経営を勉強する“商業界ゼミ”も紹介してくれた。

88周年感謝祭の時には、「ありがとうどら焼き」100名様プレゼント、つき立ての「あんころ餅・あべかわ餅」100個限定販売、餅米の重さを当てるお楽しみ企画などを実施した。また、自分達家族の事を書いたチラシを新聞折り込みで配布するなど“自己開示”を実践した。その結果、2019年12月は過去最高の売上を達成できた。

「新岩城に来ないと買えない美味しい和菓子を作りたい」と四代目夫婦が奮闘中

新岩城菓子舗が創業時から今まで家族で守り抜いて大切にしているのは「お客様の一生に寄り添う」ことだ。日本の文化や旬の味覚を和菓子で伝える「時の味」は十二カ月という時に合わせ、その月の和菓子を一品販売している。

最も苦労したのは初代・三郎氏が亡くなった後、由美子女将は和菓子の味に自信が持てなかった。そんな折、店を継ぐために大学を中退して和菓子屋で5年間修業していた四代目・健太氏が店に戻って来て、修業先で出会った洋円(みのぶ)氏と結婚した。味に自信が無かった由美子女将は四代目夫婦が入店してくれて安心したと言う。

四代目・健太氏は「新岩城に来ないと買えない美味しい和菓子を作りたい」と当店の売れ筋商品を次々と開発した。初代・三郎氏の「美味しいお菓子で皆を幸せにしたい」という熱い思いを守り続けながら「当店の和菓子を川崎みやげとして使ってもらいたい」という由美子女将の願いも叶えた。2019年10月に新発売したお城の形の「夢見の城もなか」は室町時代後期に太田道灌が川崎市幸区夢見ヶ崎での築城を悪夢のために断念した歴史と夢をお菓子に込めている。

「今後は、みのぶ若女将と一緒にお客様との絆づくりを強化します」と語る由美子女将は、現在実施しているポイントカード、年2回のニュースレター、感謝券の配布以外に常連のお客様のためだけの特典を思案中だ。一店舗の家族経営だからできる「お店の前を通る人みんな友達」「感動を共有できる地域一番店」を目指す。「店の人が楽しければワクワクがお客様にも伝わり、お客様がまた来たくなる店になります。節分では、みのぶ若女将と一緒に考えた鬼の絵を豆で倒したら“ミニどら焼き”をプレゼントする“鬼退治ゲーム大会”を開催します。将来は四代目夫婦に上手にお店とお客様を引き継ぎたいです」と語る由美子女将は店を未来につなぐ。

当社商品「川崎ポテト」(上)

「朝焼きどら焼き」(下)

 

川崎市産業振興会館
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