株式会社 熱源

自社開発の省電力型ヒーターを活用し、四季を通じて供給できる「防空壕きくらげ」を生産

 

 

 

 

代表取締役 船崎 帆洸

事業内容 省エネ型面状ヒーター、施設園芸用ヒーティングシステム、融雪用ロードヒーティングシステム
企業名 株式会社 熱源
創業 2013年(平成25年)8月
所在地 川崎市麻生区栗木1丁目1番12号
電話 044-328-9931
従業員 4名
代表 船崎 帆洸(フナサキ ホウコウ)
URL https://netsugen-system.co.jp/

当社は建設会社が母体となって2013年に創業した、農業用や路面融雪用の省電力型ヒーターの開発製造を主業にした企業である。

新素材を利用して自社開発したヒーター「チーターボルト®ケーブル」はランニングコストも低く、地球環境にも優しい製品であるが、当社はチーターボルトを利用して「きくらげ」も生産している。

その名も「防空壕きくらげ」。ヒーターメーカーが何故きくらげ生産?という疑問と、ネーミングの由来、事業内容等を、代表取締役の船崎帆洸氏に聞いた。

省電力型ヒーター「チーターボルト®ケーブル」を開発

当社の「チーターボルト®ケーブル」は、高性能な発熱体を使用した独自の形状により、扱いやすさと使用範囲を大幅に向上させた、特許取得した技術である。その構造は、ヒーター素子を5mm 幅、51μ厚のリボン状とし、シリコンゴムとケプラー繊維で絶縁・補強したものをケーブル化した。ヒーター素子単体では、電圧印加後わずか数秒で1,000℃以上を可能とし、応答性の高いクリーンヒーターである。発熱量は、通常のニクロム線ヒーターの約2.3 倍、SUS ヒーターの約1.7 倍と、高い省電力性能を実現している。

応用分野としては、一つには融雪用ロードヒーターシステムである。従来の融雪システムは、地下水や海水を使用して融雪する方式と、灯油ボイラーやヒートポンプ式で不凍液を加熱循環する方式で、前者は地盤沈下や塩害のリスクがあり、後者は設備コストやランニングコストが高いという弱点がある。当社方式は、チーターボルト®ケーブルをアルミ管内にセットし、単純な抵抗値での消費電力と温度の設定が可能で、融雪レイアウトも自由度が高く、極めて狭い面積から、容量の問題などで今までの電気ヒーターでは対応出来なかった、広い面積の融雪も可能になり、設備やメンテナンスの簡易なシステムとなっている。融雪用ロードヒーターは青森県弘前市と共同研究を行い、美術館の屋外通路や玄関アプローチに利用されている。

二つ目は農業用途である。施設園芸用ヒーティングシステムに応用できる。チーターボルト®ケーブルをアルミ管内にセットして、根本や土中加温のみで行うため、ビニールハウス全体の加温を行わずにイチゴやトマトが栽培できる。従来の重油をボイラーで焚く温風暖房方式に比べ、設備費や燃料費が大幅に削減でき、地球環境にも優しいシステムである。当社は川崎市農業技術支援センターと、施設園芸ヒーティングシステムの共同研究を行い、様々な農産物栽培に必要なノウハウを積み重ねている。

さらに、船崎社長によると「まだ公表できないが、ある環境浄化システムへの展開を企画中」とのことであったが、将来が楽しみである。

建設業・解体業を経て、熱源を創業

船崎社長は1939年(昭和14年)、石川県珠洲市出身である。学校卒業後、「親父と喧嘩して大阪に出てきて、建築作業に従事した。飯場に行けば仕事もできたし、飯も食えた」そうである。

しばらくの間は飯場生活を続けたが、三十代の時に独立し、大阪で株式会社日興建設を立ち上げた。主に関西国際空港の埋め立ての仕事を行い、砕石工場を作った。90年代始めにバブルが崩壊して、大阪での仕事が減り、東京に出てきて東京湾で砕石の仕事を行おうとした。ところが、時の東京都知事の方針で東京湾の再開発事業がストップされ、砕石の仕事の目処が立たなくなり、目論見の外れた船崎社長は建設業から解体業に事業をシフトした。

その後、知り合いがヒーター開発に熱心で、船崎社長も関心を抱き、本格的に開発するために2004年頃に株式会社熱源開発を創業した。この株式会社熱源開発が現在の株式会社熱源の母体であり、日興建設と熱源を川崎市麻生区栗木に拠点を移して、事業を行うことになった。

近隣の防空壕にチーターボルト®ケーブルを使って「防空壕きくらげ」を栽培

2013年頃、たまたま近隣の山林を購入したところ、山林の隅に洞窟の様なものを見つけた。太平洋戦争末期に旧日本軍が作ったと思われる防空壕跡であった。正確には特殊地下壕というらしいが、奥行13m、幅3m、高さ2.5mの防空壕が竹藪の中に埋もれて約70年の間ひっそりと存在していたのである。

さらに調査を進めると、米軍による空襲が激しくなった1944年(昭和19年)頃に、近くの常念寺に川崎区の大島国民学校(現在の小学校)の生徒が疎開してきたが、空襲を避けるための避難場所として、この防空壕が掘られたようだ。防空壕跡は危険なので埋め戻されることが多いが、船崎社長と日興建設の小山社長は、歴史的に貴重な遺構を保存したい思いで、2016年頃に内部をコンクリートで固めて整備した。

同時に、防空壕を何かに活用できないかという思いをめぐらせていたところ、農家からシイタケの栽培を持ちかけられ、比較的栽培しやすい、きくらげに集中して栽培をすることにした。その名もずばり「防空壕きくらげ」である。

きくらげに目をつけたのは、国内流通のきくらげは約97%が中国産で国内産は非常に少なく、しかも収穫は夏場に限られるためだ。防空壕の内部に、熱源で開発したチーターボルトケーブルを設置し、内部の温度を20~25℃、湿度90%に保ち、潅水や空気循環を行うことで、きくらげ生育に最適な環境とし、四季を通じた供給を可能にした。

この防空壕では1ヶ月に約200kgの収穫ができ、「防空壕きくらげ」として、JAセレサ川崎の直売所セレサモスで販売している。ぜひ一度ご賞味されると共に、戦争中疎開してきた幼い小学生が、防空壕で震えながら空襲から逃れていたことに思いを馳せてみてはどうだろうか。

当社製品 コンクリート製きくらげ栽培設備・システム

「BOXカルバート」

 

栽培中の「防空壕きくらげ」

川崎市産業振興会館
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