発想力と繊細さのマリアージュが生み出す普段着のフランス料理
代表取締役/
総料理長
片岡 竜也(右)
事業内容 | 飲食業 |
企業名 | PlanHill 株式会社 |
創業 | 2016年(平成28年)9月(会社設立は、2017年11月) |
所在地 | 川崎市高津区久本1-16-20 リラ館1F |
電話 | 044-863-9986 |
従業員 | 9名 |
代表 | 片岡 竜也(カタオカ タツヤ) |
URL | 【公式HP】https://laporte.owst.jp/ 【オンラインShop】https://laporte.store |
溝の口駅から少し歩くと、ゆったりした時間が流れている複合施設『フィオーレの森』が現れる。レストランやショップなどが軒を連ねており、入口の門の横に構えているのが、プランヒール株式会社のメインレストラン『Francais La Porte(フランセーズ ラ・ポルテ)』である。「気軽にフレンチを楽しんでほしい」との思いから、フランス料理への入口となるべく、様々なアイディアを紡ぎ出す同社の代表兼総料理長である片岡竜也氏と取締役の江里子氏に話を伺った。
小学生時代に出会った美味しさが突き動かしたシェフへの道
1976年に川崎で生まれ育った片岡氏が、子供の頃楽しみにしていたのは、高津区のカジュアルフレンチの名店『ビストロポップコーン』の料理であった。小学校6年生の時、片岡氏を突き動かす出来事が起きる。初めてのコース料理の牛ヒレ肉にかかっていた青しそソースの美味しさに感動し、その様子を見た料理好きの母からの「あなたがこういう料理を作れるようになったらうれしい」という言葉で、料理人になる決意が固まった。
その思いのまま、調理師免許の取れる学校に進学し、就職活動でビストロポップコーンの門を叩いた。 前しかし、人気店のため何人も採用待ちの状態で、代わりに紹介された近隣の『プルミエアベニュー』という店で1年間働いた後に、ビストロポップコーンに入る。デザートから始まり、前菜や魚・肉などを経て、数年後には念願の青しそソースまで任されるようになったものの、「料理長として自分のオリジナル料理を出したい」という思いから、片岡氏はフランスでの修業に動き出した。フランス語は勉強していたが、伝手もなく、旅行ガイドに掲載されている30~40店に手紙を書いてアピールした。1件だけOKの返事をくれた小さなお店を目指してフランスへ飛んだが、働けると思った矢先でビザが下りず、失意のもと帰国する。帰国後は、テレビ番組で活躍した坂井宏行シェフがオーナーを務める『ラ・ロシェル』に運よく伝手で入ることができた。人気店の厨房内の競争は激しかったが、様々なポジションを経験できた。次に南青山のレストランで副料理長を務め、そこの取引先のウエディングプランナーであった江里子氏と結婚、子供も生まれて安定した生活を送っていた。しかし、「料理長になりたい」という心の火は消えていなかった。複数の誘いはあったが、2006年にプルミエアベニューのオーナーからの「料理長としてお店を立て直してほしい」という話に乗って社員となった。一人で切り盛りする覚悟を決めて、高津駅近くのお店に行くと、外観は暗く、壁紙もソファーもボロボロ、グラスも揃っていないなど、想像以上の厳しさに直面した。江里子氏が子育ての合間を縫って自宅のプリンターで印刷したショップカードを片岡氏がポスティングする毎日だった。そうすると徐々に地域の人々を中心にリピーターが増え、店も整っていった。知人のホールマネージャーに入ってもらうと店舗の厚みが増し繁盛店になった。「お客様の求める価値を料理人より熟知している接客者の重要性を痛感しました。」と片岡氏は当時を振り返る。
「前菜のケーキ仕立て」
夫唱婦随で日本人の味覚にあったフレンチを追求
片岡氏はプルミエアベニューの取締役になり、他に寿司等の店舗を展開しつつ、少し高級感を増したプルミエの2店舗目を2012年、現在の地にオープンした。しかし、積極的な店舗展開と裏腹に経費は制約されていった。そこで会社に交渉して、自らリスクをとる兼業の形で溝の口にビストロをオープンさせた。しかし、裏方役に制限される契約だったので、片岡氏の料理の出ない店は1年足らずで閉店となり、個人で負った借金だけが残ってしまった。片岡氏は「心配をかけたくない」と江里子氏には細かく伝えていなかったが、正直に打ち明けて再起を図った。幸い金銭的な支援者がいたので、2016年に個人でプルミエアベニューから店舗を買い取り、フランス語で入口・門という意味のLa Porte という店名に改めた。“ 一門” という家族・仲間を大事にする信条の表れであり、実際にスタッフもついてきてくれた。江里子氏は「同じ職場にいるとケンカが増えるので一緒にやりたくなかった」と当時を振り返るが、プランナーの仕事の他に簿記の資格も取っていた。「いよいよ来たか」と心の中で準備はできていた。江里子氏もホールに入った店は、売上を伸ばして1年足らずで借金を返済し、2017年には、(片“ 岡” +企画)の意味を持たせたプランヒール株式会社として法人化した。
La Porte の総料理長として片岡氏は、出汁を使ったり、日本料理の食材を融合させたりして、日本人の繊細な味覚に寄ったフレンチを追求している。また、旬の野菜を仕入れて一気に作ることで、リーズナブルな価格を設定している。そのため食材の組み合わせによって都度メニューが変わる難しさに対峙しながら、頭の中に残っている味覚の経験値を紐解き、求める味を一発で表現できるのが、片岡氏の強みである。
そんな片岡氏を「寝ても覚めても料理のことしか考えていない。テレビを見ても料理番組、冷蔵庫の中を見るのが趣味」と江里子氏は笑いながら評する。片岡氏は、常に「レストランには何ができるのか?」「どうやったら出し続けられるのか?」と自問している。まだ会社が完全に盤石とはいえない時から準備して、デザート販売のための菓子製造業の許可を姉妹店に取得させた。コロナ禍直後からテイクアウトができるようになり会社の経営を助けた。
デザートの他にも多くの人に味わってもらえる形となるスペシャリテ(お店の看板メニュー)も作った。ホールマネージャーの提案に「ケーキっぽい前菜はどうかな?」との発想を加え、少しずつ形にして、食材を重ねてケーキのように切った断面の美しさを追求した。そうして仕上げた『信州サーモンと北海ずわい蟹 彩野菜のケーキ仕立て』は、川崎市主催の22年「# かわさき推しメシ」グランプリに選ばれた。何よりも市民からのWEB 投票で支持されたことがうれしかった。
家族主義を大事に店舗への思いとレシピを後進へつないでいく
現在の同社は、レストラン事業とケータリング事業、スイーツの催事販売事業の3事業部制である。レストランは、La Porte の他に『肉割烹 ささえ』と栄養士である江里子氏が切り盛りする『ガーデンテラスSYOCA』がある。その他、百貨店などで販売しているおせち料理なども好評である。
今後も家族主義は残していきたいので、目の届く範囲で経営できる小さな店舗に分割して展開する計画だ。自分の技を残すことは難しいが、ケーキ仕立てのような形になるものならレシピを残して後進につないでいける。社員との情報共有のため、フォローやケアをこまめにして、まかないは全員で食べて会話を大切にしている。
片岡氏は、少年時代に受けた感動のように「様々な人に美味しいものを知ってもらいたい」という料理人としての出発点を大事にし、「構えずに年に何回か食べに来てもらえる」カジュアルさで本格的な料理を提供していく。一方で、フランス料理を身近にする難しさも感じている。冷凍技術等を使ってスーパーに並べられる商品を開発することも視野に入れながら、片岡氏は日々考えを巡らせている。