株式会社 メタテクノ

育て蓄積したソフトウェア技術でこれからのイメージング技術の扉を開く

メタテクノ 代表写真
会長 古賀 道夫
事業内容 制御システム、デバイスドライバ、通信システム、文書・画像・音声処理システム、業務システム、ウェブ・アプリケーション等のソフトウェア開発 他
企業名 株式会社 メタテクノ
創業 1984年(昭和59年)3月
所在地 川崎市中原区小杉町1-403
電話 044‐739-3431
代表 会長 古賀 道夫 (コガ ミチオ)
社長 福重 一彦(フクシゲ カズヒコ)
URL http://www.meta.co.jp/

我々の日常の事務作業に欠かせないプリンター。その心臓部となる制御ソフトウェアの開発に初期から携わってきたのが中原区にある(株)メタテクノである。ソフトウェア技術者集団を率いる同社会長の古賀道夫氏にモチベーション向上など社内施策などを中心にお話を伺った。

会社設立から揺るがない技術重視の姿勢

1984年3月設立のメタテクノは、30年を迎えた。創業メンバーの一人でもある古賀氏は、大学院で数学を専攻後、東京の虎の門にあったソフト開発会社に入社した。入社後はコンピュータシミュレーションを駆使した調査・研究などに携わり、ソフトウェア技術者としての技術力を蓄えていった。33歳の時にロボットの制御の仕事をして、コンピュータが計算のための道具に留まらず、動くものを制御できるという可能性を実感し、そのために必要な設計の考え方を習得した。そうして技術者として一本立ちした古賀氏に転機が訪れたのは、36歳の時であった。
新卒以来勤めてきた会社から、エンジニアを中心に19名がスピンアウトして、技術を追求できる新しいソフト会社を東京都渋谷区に設立することになったのだ。技術を重視しながらも、技術を超えようという意識の表れとして「超(こえる)」という意味を持つ接頭語を付けて「メタテクノ」という新しい会社が東京の渋谷に誕生した。古賀氏は、技術部長として参画した。トップも含めて話しやすい雰囲気と活気にあふれ、見通しも不透明で残業も頻繁であったが、エンジニアが理想とする環境で仕事ができた。
設立後まもなく、会社の将来を左右する縁ができた。当時は、小型レーザプリンタが初めて商品化されるなどプリンターの黎明期にあったが、大手メーカーでもソフトウェアの開発人材が足りない状態で開発委託先を探していた。設立まもない同社にとっては大きなチャンスであったが、一方で技術追求の視点から受託業務が増えることを懸念するメンバーもいた。
古賀氏は、「下請けの意識で仕事をするのではなく、顧客と一緒に新しいものを作り上げていこう」とメンバーを説得し、エンジニアたちは、古賀氏の言葉に応えてソフト開発に打ち込んだ。その結果、プリンターに円や直線を描かせる制御プログラムなど多くの依頼が舞い込んできた。古賀氏もフォント作りなどを手伝い、全員体制で受託業務に対応していた。そうして、プリンター、通信機器等の制御系ソフトウェアや、ワープロ、DTP等のアプリケーションの開発技術が蓄積されていった。
受託業務以外にも蓄積された技術を活かし、積極的に提案をした。創業当時は、日本国内ではNEC製PC98シリーズのパソコンが隆盛を極めていた。そのため国内のプリンターの多くがPC98の制御コマンド(命令)に対応したものしかなかった。そこで古賀氏は、PC98に対応できるプリンター用のエミュレーター(同じ動作ができるようにするハードウェア)を考え、あるプリンタメーカーに提案した。そうして開発したエミュレーターはヒット商品となった。
その後、他の大手企業からの仕事も入ってくるようになり、4年目には従業員50名、7年目には100名近い規模に急成長した。

任せるマネジメントでニッチトップを目指す。スリランカにも開発子会社設立

1998年には、川崎市に小杉技術センターを開設した。現在では、プリンターや複写機などのイメージング技術に関する制御ソフトウェア以外に、文書・画像・音声処理システム、業務システム、Webアプリケーション等のソフトウェア開発や、汎用/Webアプリケーションなど様々な分野でのソフトウェアエンジニアリングサービスも提供している。従業員数は250名(2014年3月現在)を超える規模にまで成長し、さらなる発展をめざし積極的な事業展開をしている。
その一環として、2001年スリランカ・コロンボにシステム開発子会社「メタテクノランカ」を設立した。スリランカに知人がいたことが進出のきっかけだが、情が厚い親日国であったことが好印象であった。内戦状態の厳しい時期に進出したが、そんな時だからこそスリランカの人々は喜んでくれた。大学を出ても働き口が無い人が多くいる同国で仕事を創出する大義がある。ソフトウェア開発は資源がなくても、できるうってつけの仕事であった。メタテクノランカの技術者は、入社後1年間、現地で日本語やIT技術の研修を行い、その後来日して日本人と一緒に日本語で業務を行う。3~5年間、日本での業務を経験するとスリランカに戻り、メタテクノランカで日本からの業務を受託し、現地の企業や政府向けのアプリケーション開発に従事する。
古賀氏は、2006年にメタテクノの3代目社長に就任した。そのマネジメントに気負いはない。部長の権限を強め、採算管理も任せている。その一方で、組織が縦割り化することなく、会社全体の雰囲気が維持されている。その秘訣を「『こっちについて来い』というより、『そっちには行くな』と言うぐらいで社員の自主性に任せるようにしています」と語り、ソフトウェアエンジニアならではの全体を俯瞰する力で、従業員の能力を最大限に引き出している。
また、経営の透明性を維持するため、会社の経営成績をタイムリーに社員に開示している。その効果を「従業員に当事者意識が出てきて、元気な人が増えてきているように思います」と古賀氏は分析する。

技術承継を組織的に進めるために、個人の力を最大限に生かす施策と情報共有

技術面では属人的にならず、組織的に技術蓄積、継承されるようマネジメントシステムの構築を進めている。その第一歩として、全員にソフトウェアを組むための共通教育をしている。人材採用も理系文系を問わない方針である。また、女性従業員の比率も高い。古賀氏はその理由について「入社試験をした結果、優秀な方がたまたま女性であっただけで、ハンディのようなものはありません」と答える。女性にとって働きやすい職場環境づくりのため、仕事と子育ての両立支援に向けた行動計画を策定し、2012年には次世代育成支援対策推進法に基づく基準適合一般事業主として、神奈川労働局より認定を受けた。
開発プロジェクトにおいては、得られたノウハウを共有すべく、プロジェクトの反省会と称して、マネージャークラスが集まり意見交換し、次にどう対処するかを議論し、組織に蓄積される知識を高めている。年に1回社内の技術展も開催し、発表の場を設け知識共有を図っている。
一方でマインド面も重視しており、2011年には行動規範となる「メタテクノ社員のための5つの問いかけ」を制定した。「これもお客様からお仕事をいただいていることを当たり前と誤解していないか?という問いかけなのです。
仕事の本質は、どこをどう進めるかというコース決めではなく、まずはお客様の要望を掴むことにあることを徹底したかったからです」と古賀氏は語る。2014年3月末に社長職を後進に譲り新体制になったが、エンジニアが思い切りやりたいことができる社風を同社は継承し続けていく。

川崎市産業振興会館
トップへ戻る