一に人格、二に技術、人としての成長が真のプロフェッショナルを生む
代表取締役
藤田 伸一
事業内容 | インフラ制御システム開発、金融・医療・物流制御システム開発 |
企業名 | 株式会社 データープロセスサービス |
創業 | 1974年(昭和49年)8月 |
所在地 | 川崎市川崎区砂子1-9-1 |
電話 | 044‐222‐0711 |
従業員 | 110名 |
代表 | 藤田 伸一(フジタ シンイチ) |
URL | http://www.dps-net.co.jp/index.html |
データープロセスサービスは、ネットワーク環境を支える基地局の制御や、世界最高水準を誇る鉄道の運行制御などの制御系システムの開発と、金融・医療・物流を中心とする業務システムの開発を主に手掛ける企業である。近年では、社員がアイデアを出し合うことで生まれた自社製品も増えている。取材を通じて感じたのは、同社の風通しの良さである。上下関係を超えた信頼関係がそこに存在していた。その風土を作り上げてきたのが、“コミュケーション担当”を自任する藤田社長のようだ。
「好きなのも向いているのもプログラマーです」
藤田社長は、自らプログラムを組み、様々なシステムやソフトウェアを構築する魅力に取りつかれた生粋のプログラマーである。前職場の先輩から、「会社を作ろうと思うのだけど一緒にやらないか」と誘いを受けたことがきっかけで、1974年8月、データープロセスサービスの設立に加わった。以来、常に客先の現場に身を置き、システム構築に30年以上にわたって従事してきた経歴を持つ。
データープロセスサービスは、制御システムや業務システムの開発を手掛ける、独立系のIT企業である。得意先には電機・通信・交通インフラ系の大手メーカーが多い。藤田社長に誘いの声を掛けた職場の先輩が創業社長であり、住居としていた幸区平間の小さなアパートが事務所だった。それでも当時、創業メンバーの8人はそれぞれの客先に出向いて作業にあたっていたので、不自由はなかったらしい。社員数が100名を超す現在は、川崎駅前の市役所通り沿いに事務所を構えている。
入社した藤田社長は、蒲田の大手電機通信メーカーの客先で、マグネットテープの読み書きのテストプログラムの制作を担当し経験を積んだ。その後は、信頼性が最も厳しく問われる、金融業界向けの業務システムの開発を主に担当してきた。
「好きなのも向いているのもプログラマーです」と天職に喜びを感じる日々を送っていたと言う。
突然に訪れた転機
入社から30年を過ぎた2006年の師走、突然の転機が訪れた。「前社長と経理を担っていた奥様が、突然の事故で同時に亡くなりました。その時点で残っていた創業メンバーは私一人、取締役だった私は必然的に次期社長を務めることになりました。しかし、会社の経営は社長夫妻に任せきりで、私は技術者として現場一筋に生きてきたので、経営も経理も全く分からない状態でした。前社長も55歳という若さであり、事業承継については『まだいいか』との思いがあったのかも知れません。」と当時を振り返る。
「その当日、私は営業先に出向いていましたが、緊急の連絡を受けてすぐに会社に戻り、幹部クラスを招集して緊急ミーティングを開き、課題を洗い出しました。まずは今回の件を社員にどう伝えるか、そして翌日がボーナス支給日だったので、それを実行することが目前の課題でした。銀行や弁護士、会計事務所にも連絡して法的な進め方も相談しました。」
しかし、さらに苦難が訪れる。「今だから語れますが、実は前社長の口座を当日に凍結した銀行がありました。慌てて他の銀行をいくつか回って事情を説明したところ、ある銀行がすぐにネットバンキングの管理者パスワードの変更手続きに応じてくれました。その口座からボーナスを振り込みましたが、残高が不足し数名にしか支給することができません。全社員へ振り込みが終わったのは数日後でした。」
個人口座の場合、亡くなった名義人の預貯金は相続財産となるため、一部の相続人が預金を引き出し、他の相続人の権利が侵害されることがないように一旦凍結される。銀行も相続争いに巻き込まれたくないという背景もあるようだが、当日凍結という例は珍しい。「さらに、給与支給日を直後に控えていたので、会社のキャッシュフローを把握する必要がありました。入出金のお金の流れを繰り返し解析しましたが、社員と社員の家族の生活がかかっているので必死です。同時に社葬の準備を進める中で、改めて株主であるご親族とも話し合い、会社を存続させていくための理解と協力をいただきました。」
こうして突然の危機を乗り越えた藤田新社長だが、社長就任には不安と葛藤があったらしい。「自分が社長としてやっていけるだろうかと一晩悩みました。私は現場一筋の技術者で、経営のことを何も知らないからです。しかし悩んだ末に“自分はこの会社と社員が大好きだ、だから自分がやろう”と決めました。自分ができなくても、みんなの協力があればやっていけると思ったからです。」
社員のことを思い、信じる藤田社長の人となりが表れている言葉である。
人の成長が会社を成長させお客様を笑顔にする
「一に人格、二に技術」の企業理念のとおり、同社は技術よりも人格を優先している。仕事に対する誠心誠意な姿勢と、お客様から信用と信頼を得られる人間性こそが最も大切と藤田社長は語る。そのことを物語るエピソードを紹介してくれた。
「バブル崩壊後の不況時、お客様の都合で仕事を失った20名の派遣社員が本社に戻り、危機的な状況になりました。仕事を発掘するため営業に駆け回りましたが、不況の中では中々見つかりません。そんな中、別の得意先から技術者の増員の要請がありました。そこで仕事をしていた当社の技術者たちの働きぶりが、お客様から高く評価されたためです。それで本社に戻った社員を受け入れてもらいました。しかも、派遣契約から、より条件の良い受託契約に切り替えていただきました。そのお客様とは今も長い付き合いが続いています。」
客先で作業をこなす社員の働きぶりと人間性が同社の危機を救い、その後の仕事の継続にも貢献しているのだった。「一に人格、二に技術」とは、会社の存続のため、そして社員の生活のための理念である。上下関係の隔たりを超えた同社の風通しの良さが人間性を育んでいるようだ。“コミュニケーション担当”でもある藤田社長は、社員との懇親にも熱心だ。チーム単位の飲み会に常に顔を出し、花見やボーリング大会、全社員での懇親会や国内外の旅行、クラブ活動を率先して企画する。自らも野球部に所属し、現役選手として正捕手を務める。会社と社員が大好きだから続けられるのだろう。会社としても社員のキャリア形成や福利厚生の充実に力を入れており「こんなに色々やってくれるんだ」と社員に言われるほど、一心に社員の生涯を考えている。
近年、同社から次々と自社製品が誕生している。出退勤管理システム「打刻ちゃんTouch」、癌の進行速度を計算する「DT計算機」、運送業向けクラウドサービス「マーキュリー」等の製品だ。社員が自発的に立ち上げた「アイデア委員会」から企画が寄せられるらしい。
「社員から“やろう”と言ってきてくれる社風がうちの強みです」と藤田社長は胸を張る。コミュニケーションから築き上げた、風通しの良さが新製品を生んでいるのだろう。