株式会社 大原商店

落花生やナッツなど主原料にフルーツ粉末やチョコレートで味付けした豆菓子の提案

 

代表取締役 大原盛善

事業内容 落花生・ナッツ等の豆菓子・チョコレート菓子の製造・販売
企業名 株式会社 大原商店
創業 1932年(昭和7年)12月
所在地 本社工場 川崎市川崎区大川町8-7
菓子工房おおはら 川崎市川崎区浅田3-11-5
電話 044-322-2511
従業員 10名
代表 大原 盛善 氏(オオハラ モリヨシ)
URL http://www.mameya-ohhara.com/ 

「当社は落花生・大豆・カシューナッツなどの主原料に、お得意様からの要望に応じて、きな粉や抹茶など伝統的な味付けの豆菓子に加え、マンゴーやフランボワーズなどフルーツ粉末で味付けした新感覚フレーバーの豆菓子やチョコレート掛けの豆菓子のレシピを開発提案して、OEM(相手先ブランド名製造)販売しています」と大原社長は胸を張る。

売れ筋商品は、きな粉豆、カレーカシュー、餃子カシューだが、定番商品の大判おのろけ豆や江戸前海幸豆も人気だ。その他、胡麻団子豆、麻婆豆腐豆、エビチリカシューなどの中華料理味、ティラミス、スモークチーズ、ペッパーカシューなどワインに合う豆菓子を開発提案してきた。

50キログラムの小ロットからオリジナルの味付け豆菓子をOEM販売する

「基本的には、お得意様が企画した商品を具体化する豆菓子専門の製造卸です。価格、材料、味に至るまでお得意様と打ち合わせして製造します。50キログラムの小ロットから味付けの種類まで小回りがきくことが当社の強みです。豆菓子には、落花生や塩豆など煎る作業だけで完結する“煎り豆”と当社のように落花生やナッツにお煎餅のような粉を掛けて味付けする“豆菓子”と2種類あります。豆菓子屋は国内でも少なく、大小合わせて10社程度です。その中でも当社のようなOEMの会社は5社程度です」と語る大原社長は三代目だ。

当社は80周年を迎える老舗だ。創業者は大原社長の祖父で、落花生の産地である神奈川県秦野市の出身だ。呉服屋に勤めた後、豆菓子屋に丁稚奉公に入る。昭和7年に独立、東京都品川区に店舗兼工場を構えた。手狭になり周囲に住宅が増えた昭和39年に川崎市高津区に移転した。その後、川崎市経済労働局から川崎区大川町の工業団地を紹介され、昭和63年に現在の本社工場を建設、移転した。

 「当社は、世の中の状況に合わせて変えていくのが早かったと思います。大きな波が何度もやってきましたが、その度に組織や営業方針を変えてきました。以前は、煎り豆屋が70~80社存在していたので、当社の豆菓子を一件当たり一斗缶15~20本単位で販売していました。現在はOEMで“AKOMEYA TOKYO”や“かわさき餃子舗の会”など多くのお得意様向けに約50種類のオリジナル豆菓子を共同企画で販売しています」と大原社長は語る。

大原社長は大学で通信工学を専攻し、AI(人工知能)の基礎となるデータベース理論を熱心に勉強した。意思決定支援システムや学校向け視聴覚ライブラリーの検索システムを開発した。大学卒業後は大手コンピュータ会社で研究開発に従事、就職後4年目に当社に入社、平成28年に代表取締役に就任した。平成30年に本社工場の製造ライン全体をリニューアルした。

ナッツメーカーの大手企業や老舗菓子店に営業して受注を獲得する 

「他の豆菓子製造会社は問屋を通していましたが、当社は問屋を通さずに直接菓子店や煎り豆屋に販売していました。しかし、コンビニの台頭で町の菓子店が減少して、菓子問屋も減少しました。当社は菓子店等に直接販売していたので、かろうじて持ちこたえていました。その時期に、ナッツメーカーの大手企業や老舗菓子店に弟の専務と営業して受注を獲得しました。現在は、包材・原材料メーカーや同業者が営業してお客様を紹介してくれます」と大原社長は笑顔で語る。

煎り豆屋など同業者が自社で製造せずに当社に製造委託していたことをその同業者が廃業した際に直接お客様から注文が来て知ることも多い。その理由は、豆菓子屋以外は“掛け物”と呼ばれるコーティング設備を保有していないからだ。当社は液体や粉末の味付け設備だけでなく、大手企業しか保有していないチョコレートを上掛けする設備と温度管理を徹底した作業室を保有している。また、平成10年に川崎区浅田に“菓子工房おおはら”を出店し、洋菓子も製造販売している。洋菓子のレシピは大原社長自らが考案した。商品コンセプトは「お酒に合うケーキ」のため男性客が多い。

「自社製品をブランディングして販売するか製造卸に徹するか悩んでいた時期に、銀座三越から店舗出店のオファーがありました。平成22年に銀座三越にテスト的に出店して自社ブランド“豆屋大原”を立ち上げました。次に、ラゾーナ川崎からも依頼を受けて平成24年に出店しました」と大原社長は語る。

銀座三越に出店した半年後には三越が伊勢丹と合併し、販売戦略が大きく変わった。当初、銀座三越では若い人向けの洋風パッケージで販売したが、売れ行きが伸びなかった。そこで、和風パッケージに変えて売れ行きを伸ばした。銀座三越では毎月イベントを立ち上げ、他の店舗とは異なる販売戦略を実践した。銀座三越に出店した結果、地方のバイヤーから取引の依頼が増えたので製造卸に集中することを大原社長は決断した。平成26年に銀座三越店を、平成27年にラゾーナ川崎店を閉店した。

自慢の製品は“川崎味散歩(銘菓選)”と“川崎味散歩(工場夜景)”   

「食べ物は経営基盤が安定せず年間で需要が上下します。豆菓子のニーズが年々減少するなか、いかにお客様に買ってもらうかが大事だと考えています。以前は、休みなく夜中の11時近くまで働く日々が続きました。当時は従業員を雇用する感覚がありませんでした。大川町に移転した平成5年に初めて家族以外の従業員を雇用しました」と大原社長は当時を振り返る。

現在、従業員数10名。当社の売上に占める製造卸の割合は大きく、製品をバルク(大量を簡易包装)で出荷している。しかし、今後は包装パッケージまで当社で行い、出荷できる体制を整備したいと大原社長は考えている。その理由は量販店からOEM販売の依頼が多いからだ。

現在は小ロットで高付加価値製品の製造卸のため売価は高い。一方、量販店向けには大量生産し、包装パッケージと配送まで当社で行い、売価を安く提供する必要がある。袋詰め専業会社に委託する場合には工賃と配送コストが発生するが、当社で包装パッケージと配送まで行えば工賃が入り、配送コストも削減できる。

「経営理念は“安心安全な食品の提供”です。豆菓子は明治時代に落花生が輸入されて以来100年の歴史がありますが、マーケットは減少しています。今後は豆菓子の認知度を向上していきたいです」と熱く語る大原社長の自慢の製品は“川崎味散歩(銘菓選)”と“川崎味散歩(工場夜景)”。いずれも“かわさき名産品”だ。

かわさき名産品に認定されている当社製品

左:川崎味散歩(銘菓撰)、川崎味散歩(工場夜景)

川崎市産業振興会館
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