株式会社 末吉ネームプレート製作所

ネームプレートを作り続けて96年 次世代に向けたイノベーションに取り組む

代表取締役社長

沼上 昌範

事業内容 工業用プレート製作、各種シール印刷、シルク印刷の製造販売
企業名 株式会社末吉ネームプレート製作所
創業 1923(大正12)年5月
所在地 川崎市多摩区中野島1653(本社:東京都港区芝5-30-1)
電話 044-922-4811
従業員 36名(パートタイム含む)
代表 沼上 昌範(ヌマカミ マサノリ)
URL http://www.sueyoshi.co.jp/

“ネームプレート”と言うと、多くの人は名札を思い浮かべるかもしれない。しかし、それ以外にも世の中には多用なプレートが存在する。同社が作るネームプレートは、主に工業製品に貼られる金属プレートで、製品の識別や注意喚起などの表示に使用されることが多い。例えば街中では、信号機の制御盤や表示ボタン、電車やバスの中にも、メーカーのロゴマーク、識別番号が書かれたプレートを見つけることができる。末吉ネームプレート製作所では、ネームプレートの総合メーカーとして、あらゆるニーズに応えるための技術革新に常に取り組んでいる。

ゼロ戦の計器にも同社のネームプレートが使われていた 

同社の創業は1923年(大正12年)と古い。当初は「エッチング」と呼ばれる技術を駆使して、主に金属製のネームプレートを生産していた。

エッチングとは、化学薬品の腐食作用を利用して、金属の表面を腐食させる加工法で、金属板に直接文字を彫ったり、反対に文字や図柄を浮かび上がらせたりすることもできる。特に、耐候性や耐久性が求められ環境で、長期間にわたって使用される表示物に適した加工法であり、前述の信号機のほか、発電所に設置される装置の操作案内などのプレートは、20年、30年と使い続けられる。

創業当時の主力の取引先が戦闘機メーカーだったことから、いわゆる“ゼロ戦”に搭載されている計器類にも、同社が作るネームプレートが使われていたらしい。まさに時代を感じさせるエピソードと言える。

同社が現在の多摩区中野島に工場を移転したのは1972年(昭和47年)のことである。それまでは、戦闘機メーカーの工場に近い新橋でネームプレートを生産していたが、東京都の
公害規制に伴い工場を川崎に移した。中野島を選んだ理由は、既に現在のJR南武線や小田急電鉄が走っており、新橋から従業員が通える範囲だったことが決め手となった。しかし、当時の工場の周辺には梨畑しかなかったため、従業員たちは「こんな地の果て…」と当時の中野島を形容したと言う。ちなみに現在は、大型のショッピングセンターやマンションが立ち並び、当時の面影を残していないが、「多摩川梨」は今も年間360トン以上生産される地域の名産品である。

製品識別に使用されるネームプレート例

伝統にとらわれないイノベーションモデル    

時代が変わり現在では、金属ネームプレートを製作する「エッチング事業」に加えて、耐久性がさほど求められない製品に適した「シール印刷事業」、素材そのものに印刷する、「スクリーン印刷事業」の三本を主力事業としている。

現社長の沼上昌範氏は3代目にあたる。創業96年の歴史と伝統を守りながらも、積極的な設備投資により、生産工程の革新化と生産性の向上に近年力を入れている。その背景について沼上社長に伺った。

「長い歴史の中で、エッチングの技能やノウハウが職人から職人へと代々受け継がれてきました。それが当社のベースとなって、差別化の強みとなっています。しかし中には、技能の伝承に10年近い月日を要するなど、今の時代に馴染みにくいやり方もありました。そこで、伝統的な強みを残しつつも、従来からの工程を抜本的に見直し、自動化できる部分は積極的に機械化を進め、新人でも機械の操作をマスターすれば、エッチングや印刷加工をできるように改善を進めてきました」

少し専門的な話になるが、具体的な取り組みを紹介すると、エッチング加工において、業界で長年行われてきた「フィルム作成」➡「感光剤塗布」➡「露光」➡「現象」といった工程を大胆に省略し、紫外線硬化式の印刷装置を使って、金属材料に文字や図柄を印刷し、直接エッチングマスクと呼ばれる「版」を製作することを実現した。また、スクリーン印刷加工においても、名前の由来となっている、スクリーンそのものを使用しない新たな印刷方法を導入し順次切り替えている。つまり、長年にわたって積み上げてきた伝統的な技法と決別し、新たな手法を取り入れることで、次の時代を切り開く試みが行われている。

一般的に、歴史と伝統のある企業は、それ故に従来からの手法や秩序を守りがちだが、エッチング加工にしても、スクリーン印刷加工にしても、既存事業の秩序を破壊し、業界構造を変化させ得る、破壊的イノベーションの取り組みと言える。

やりたいことはまだまだたくさんある   

沼上社長は新規事業の取り組みにも熱心だ。数年前に、川崎市知的財産交流会に参加したことをきっかけに、富士通と東京大学が共同開発した新たな光触媒「チタンアパタイト」の特許技術を導入し、初の自社ブランド製品として、抗菌塗料「SNP-α」を開発した。本製品は紫外線が当たると菌などの有機物を分解するほか、紫外線が当たらない環境でも、菌類を吸着し抗菌化する作用がある。元々は、自社のシールなどの加工品に衛生の付加価値を持たせることを狙いとして開発したが、SNP-αはその後、市内を走る私鉄の券売機、地元の銀行や信用金庫のATM端末のタッチ画面、パソコンスクールのキーボードなどに採用され、多くの人が触れる箇所の抗菌化と衛生環境の向上に貢献している。

沼上社長に今後の展望を伺うと、「やりたいことはまだまだたくさんあります。例えば、工程の抜本的な見直しはこれからも必要ですし、既存の加工品にも耐候性や色落ちを防ぐなどの新たな価値を持たせたいと考えています。それから、一番やりたいのは、SNP-αに次ぐ新たな自社製品の開発です。大企業の特許を使って、医療や福祉などの現場で困っていることを、解決できるような製品開発にもう一度挑戦したいですね。」と意欲的だ。

同社はまもなく創業から100年を迎える。その歴史と伝統を受け継ぎながら、ネームプレートの総合メーカーとして、次の100年に向けたイノベーションは今後も続きそうだ。

川崎市産業振興会館
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