磨かれた技術力で超硬合金の鏡面加工を実現
代表取締役 新井 聡
事業内容 | 超硬精密部品製作(順送用プレス金型用パンチ・ダイ入子) |
企業名 | 株式会社 アピック |
創業 | 1980年(昭和55年)1月 |
所在地 | 川崎市高津区宇奈根744-8 |
電話 | 044-833-2406 |
従業員 | 16名 |
代表 | 新井 聡(アライ サトシ) |
URL | http://www.apic-inc.co.jp/ |
株式会社アピックの精密加工工場は、清潔感があり整った佇まいであることに加え、整然と並んだ工作機械にかけられた暗幕の中で作業者が黙々と作業する様は、作業者が行き交う一般的な町工場とは印象が異なる。主要の工作機械であるプロファイル研削盤では、暗幕内部に投影された加工対象部品の拡大図に倣うよう、作業者が砥石を微細に動かして、ダイヤモンドに次ぐ硬さと言われている合金を削っている。加工対象であるスマートフォンのコネクタ金型のような複雑な形状を砥石で削り取る研削加工だけでも相当な精密さが要求されるが、アピックは(特別な研磨工具を使わずに)砥石だけで鏡面を作る高度な技術を有している。その技術を守り、発展させようとしている同社2代目社長の新井聡氏にお話を伺った。
プロファイル加工のパイオニアとして超硬合金の金型加工に取り組む
同社は、先代社長の新井堅司氏の個人事業として立ち上がった。もともとタイプライターメーカーに勤務していた堅司氏は、知人と独立してパンチカード(タイプライター同様のキー操作で厚手の紙に穴を開けて、大型計算機等のプログラムを記憶させる形式の紙媒体)用金型の仕事をしていた。そのうち、それらの仕事が減少したので知人とは会社を分割して、1977年に別の知り合いで高津区にあった会社へ間借りして創業した。そこに見慣れぬ小さな機械があった。それは当時の国内ではあまり普及していなかったプロファイル研削盤であった。新しいことをやりたいと考えていた堅司氏の関心は、日に日に高まっていった。そんな関心の強さを知ってか知らずか、間借り先の会社から「超硬合金の加工仕事を回そうか?」という申し出があった。超硬合金は、耐久性が求められる切削用刃物や金型に使われ始めていたが、従来の切削加工では対応が難しかった。それでも試行錯誤しながら超硬のプロファイル加工をものにしていった堅司氏は、微細化が始まりだしたICなどのリードフレーム(半導体パッケージ内部の配線パターンを形成する薄い導電板)の金型製作などで事業規模を拡大していった。そして、半導体市場の成長に引っ張り上げられるように1988年に現在の地に工場を構えて機械を増設した。
半導体分野に支えられていた同社であったが、その急激な変化にも翻弄されることとなった。半導体パッケージの技術革新でリードフレームが使われなくなったり、1996年には主要取引先の国内工場閉鎖が決まったりと、危機が忍び寄っていた。同社が徳俵で踏みとどまることができたのは、プロファイル一筋で培ってきた精密加工技術に希少性があったためだった。救いの神は、携帯電話分野であった。1996年は携帯電話の国内契約数が年初の900万台近くから倍増するなど市場は大きく伸びていた。携帯電話の充電やデータ接続用のコネクタの金型向けの問い合わせが増えてきた。急成長の市場に合わせるためには、納期が大変であったが品質を落とさず間に合わせた。メーカーと直接取引したことで設計者の要望に対して柔軟な対応ができたことが評価された。
微細形状鏡面加工技術「AP-ミラープロファイル」で他分野へアピール
2010年代になるとスマートフォンやタブレットなどの情報端末が普及し、それらに接続されるマイクロコネクタもさらなる狭ピッチ(導体間の距離)化や薄型化が求められるようになり、ますます忙しくなってきた。投資も積極的にしており、プロファイル加工に関しては、中小企業でありながら大手並みの設備能力が揃ってきた。
2012年、堅司氏の子息の新井聡氏が入社する。聡氏は、大学の文学部を卒業してから数年間音楽の道を模索していた。職人気質であった父の堅司氏は、家では仕事の話をせず、息子に会社を継ぐことを強制していなかった。聡氏は父の会社が気になっていたものの、「人生一度きりなので、やりたいことをやらねば」という思いで進んでいた。そうして数年経ったある日、父から「継いでほしいと思っている」と秘めていた思いを告げられた。一方、聡氏も夢中で進んできた道が狭まっていることを感じていた。その会話から少しの時を経て、聡氏は入社する覚悟を決めた。ただ、オフィス事務のアルバイト経験はあったが、「アピックの工場を見ても何もわからない」という状態だった。「職歴もなく、私が何をできるか分からなかったと思うので、父の方が不安だったでしょうね」と聡氏は当時を振り返る。
「入社当初は、黙々と作業する職人が多い雰囲気に驚きました」と語った聡氏は、入社直後の1年半は現場で加工を担当した。その後、生産管理兼営業の仕事に携わり、客先とのやりとりの中で、提示した見積書の価格感や自社の強みがよく見えてきた。「自社の仕事の適正価格化は必要」との意識を持つようになり、価格設定の基準や、そのために必要となる図面の管理等を推し進めていった。それと同時に、会社として社員に報いるべき各種の手当類も提案していった。聡氏は、社長と現場のつなぎ役に徹しつつ、両者に対して根拠を明確にしながら制度や仕組みの意味について説明し、最終的に会社の決定としてまとめ上げていった。会社を思うが故の衝突もあったが、互いへの信頼感と社長の度量の広さから社内の改善は進んでいった。
聡氏の次の課題は、社外に向けた会社のアピールであった。ずっと金型を製造してきたが、自社の技術は工具やモーター部品等の他にもっと応用分野があるはずと考え、展示会にも出展するようになった。改めて考えたアピールポイントは、研削時の音など五感をフルに働かせてワンランク上の精密な製品作りを志向して微細形状にも鏡面加工を施していることであった。「AP-ミラープロファイル」と名付けた技術は、2017年の川崎ものづくりブランドに認定された。
現場の意見や気持ちを踏まえ、現場主体で物事を決める姿勢を尊重
2019年4月、聡氏は社長に就任した。期待感はあったが、就任直後に一時仕事が減り、今までに感じたことのない不安が押し寄せてきた。それは、社員を背負う実感を伴った瞬間だったのかもしれない。その不安な背中を押してくれたのは顧客の声であった。話をすれば様々な意見を返してくれる有難い顧客の意見から、自社の技術力は足りていることを再認識し安心した一方で、できることを突き詰めていく姿勢を鮮明にした。「技術を磨くことは変えない。現場主体で物事を決める。そのために一番に現場の意見や気持ちを聴くことを心掛ける」と聡氏は決意を新たにした。「社長が責任感を持つから、社員も責任感を持つ。社長がまた聞きで報告を受けるようではいけない」と現場主義を貫き、働きやすい自由な環境は保つものの規律を守ることの大切さを説いている。そんな姿勢も評価され、2020年に中小企業庁「はばたく中小企業・小規模所業者300社」に選定された。創業以来、社員の勤続年数の長さは社としての誇りであったが、聡氏の代になっても面談やコミュニケーションで一体感の高い現場作りの手綱は緩めない。
高精度鏡面研削加工を行った「展示品」