温故知新で学びとった技術力でジュークボックスに命を吹き込む
事業内容 | 電気工事一般 、アンテナ工事一般、アンテナ部材卸販販 |
企業名 | 有限会社 岩田電機通信 |
創業 | 2005年(平成17年)3月3日 |
所在地 | 川崎市多摩区生田1-20-26 |
電話 | 044-944-9753 |
従業員 | 3名 |
代表 | 岩田 融二(イワタ ユウジ) |
URL | https://www.iwatadenki.jp/ |
南武線中野島駅から徒歩圏の住宅街にある電気店。有限会社岩田電機通信の広いとは言えない間口には、割って入るようにEV(電気自動車)の充電器や配線が並ぶ。そして入口のサッシ扉を開けた瞬間、きらびやかな光と“鳴り”の大きな音が圧してくる。入ってくる者をひるませる存在感の主は、所狭しと置かれたジュークボックスである。ジュークボックスは、ボウリング場などの娯楽施設や飲食店に置かれ、コインを投入しレコードを自動動作してかける機械だが、1980年以降は有線放送等の普及に押され姿を消していった。しかし今、岩田電機通信では、ジュークボックスの音に魅かれ、修理事業に取り組んでいる。ここに至る経緯等を代表取締役の岩田融二氏に伺った。
進取の気風で技術を取り込むディストリビューターとして動く
同社の前身は、終戦後に焦土と化した東京都中野区で融二氏の父が始めた街商である。戦後の復興に足並みを揃えるように、1949年には東京都渋谷区大山町に電気店「岩田電機商会」を構えた。近隣にあった在日米米軍施設(現在の代々木公園)や高級住宅地などへの富裕層向けの商売は、景気拡大のタイミングで大きく発展していった。
そのような環境は、1956年生まれの融二氏にも影響を与え、気がつくと自らを「商人」と評すまでになっていた。小学生時代には、よく行っていたおもちゃ屋へ「いつも買っているから、うちの扇風機も買ってくれないか?」と売り込みをかける逸話を残している。
融二氏は大学で電気関係を専攻後、1976年に岩田電機商会に入社する。1日120軒を訪問するなど地元に根差し、富裕層などにも可愛がられ、その中で海外の新しい情報にも自然に触れるようになっていた。そして、ある時、顧客の一人であった放送関連会社の重役から米国で動きだした衛星通信放送についての話を聞いた。「新しいものへのニオイに敏感でした」という岩田氏はすぐさま資金を用立てして、1992年に米国へ渡る。日系大手企業と一緒に数か月間現地の電気店に入り、衛星通信放送のマンションに対する技術検証・調査をし、デジタル放送の技術を持ち帰ってきた。これに留まらず、1994年には再び渡米し、日系大手電機メーカーと一緒に現地の専門家から動画圧縮技術の講習を受けるなど技術研鑽し、オンリーワンの存在となっていった。帰国後は、その商社と連携して、衛星通信放送や有料放送の設置に関する困り事を解決するドクター的な存在として、設置工事に取り組み、会社の発展に繋げた。それのみに慢心せず、岩田氏は「新しい技術は次々出てくる。自分たちは次の技術を取り込み、普及に向けて若い世代に技術を伝えていかないといけない」という意識で、小売や工事から脱皮し、問屋色、もっと踏み込んで技術サービスまで責任をもって提供するディストリビューター的な色合いを強める意思を固めた。そして岩田氏は独立を決めた。
電設資材の卸売、EV用充電器の開発など多彩な事業へ取り組む
1999年、岩田氏は多摩区の自宅で個人事業として同社を創業した。卸売事業は固定費を抑えなくてはいけないという考えからのスモールスタートであった。「産業革命により、履物では下駄から靴への置き換わりがありました。こういった商機はいたるところに出てきます。当社もカメレオンのようにその時々の環境に合わせてやることを変えています。ただし、技術的な中身があることにはこだわっていきます」と語る岩田氏は、テリトリーを拡大していった。その点で卸売という形態は、様々な商材が扱えることで理想的であった。とはいえ、ただ右から左に工事用資材等の商材を流すのではなく、テレビの地デジ化工事が盛んな時代には測定器を自社開発して電波状況をシミュレーションして適切な資材を卸すなどの一味違う対応をしてきた。
現在の卸売事業は、ネット通販を中心に地方の電気店や工事店に資材を卸しているが、店主の高齢化に伴う廃業などの問題も深刻である。それをうけ、次のステップとして、岩田氏は「メーカーになる」構想を掲げた。
2014年には、他社と連携して、EVやPHV(プラグインハイブリッド自動車)の普通充電器を開発した。家庭の100Vで使え、バッテリーへのダメージが少ないのが特徴である。
同社では卸売やメーカーとして電気分野に関わっている中で、若者の技術や電気離れにも危機感を持っている。そこで、川崎市内の工業高校とタイアップし、ボランティアで電気工事士資格取得の講習会を開催した。講習会が終わっても学生が遊びに来るなど徐々に輪が広がっていることを感じる。岩田氏は、「技術の輪が広がっていってほしい。囲い込むだけでは自分の商売の範囲も縮こまる。自分も先輩方に後押ししてもらっていた。目標を共に作って伸びる手助けをしたい」と目を細めて語る。
古き良き音を再現するジュークボックスの修理事業を広げていく
そのワクワク感とは裏腹に最初の修理は難航した。まず、部品が手に入らず、自作することが多々あった。そのため電気に限らず、木工や金属の知識も求められた。その過程で当時の部材選定の知恵を学び取れる良さもあったが、自社単独では限界があり、修理経験のある高齢の技術者を探し出して教わった。部品の真空管に手を入れるまで踏み込むなど、最終的に6か月かけてようやく直した大二氏にとって、ご褒美は初めてのジュークボックスの音であった。「低音の良さにびっくりした」というほどの衝撃だった。
ジュークボックスは、置くだけで昭和の雰囲気を感じさせるので、エンタテイメントの現場からの問合せも少なくない。しかし、単に昭和のイメージだけを表現するのでなく、設計者たちがこだわった音を表現し、故障を少なくすることも考えて修理している。「若い人にアンティークに興味をもってほしい。良いものは良いと思ってもらえる」という大二氏は、アーケードゲームの修理にも取り組み始めている。
日本の電気安全用品法により、アンティークの電気機器流通は困難な側面がある。ジュークボックス発祥の地であるアメリカをはじめとした海外には、まだまだお宝が眠っており、事業としての可能性が広がっている。岩田氏の目には、自分が30代に駆け回ったアメリカで、数十年の時を経て大二氏がジュークボックスの前で同じように奮闘する姿が映っていることであろう。
昔と変わらぬ音を奏でるジュークボックス