ダイヤ工芸 株式会社

「お客さんを喜ばせたい」その一念が高めた成形品加飾技術

ダイヤ工芸 代表写真
社長 石塚 勝
事業内容 一般樹脂の二次加工全般
企業名 ダイヤ工芸 株式会社
創業 1971年(昭和46年)2月
所在地 〒213-0025 川崎市高津区蟹ヶ谷119番地
電話 044-754-6381
FAX 044-754-6391
従業員 46名
代表 石塚 勝 (イシヅカ マサル)
資本金 1,000万円
URL http://www.dta.co.jp/

“期日通りに納品する”当り前であるが実行は難しい、企業にとって永遠の課題である。顧客の喜ぶ顔を見るため“電車のダイヤのように時間に正確な納品をする”ことを決意し、社名をダイヤ工芸としてしまったプラスチック成形品の外周への加飾(化粧)加工を専門とする会社が高津区にある。

行動力とアイデアと執念で創業する

小さい時に両親を亡くし、大学進学を断念した石塚氏は、高校卒業後に石川島播磨重工業(株)へ入社した。当時、最先端であった電子計算機のプロジェクトチームに選抜されてプログラマーとして活躍するが、学歴社会の限界を感じて6年で退職する。退職後1年間は職業訓練学校に通い、好きな機械いじりが活かせる自動車整備士としての道を選んだ。大手自動車メーカーのサービスセンターで検査主任者に落ち着き満足はしていたが、その一方で新しいことに挑戦したいという思いがあったと言う。
夫人がしていた内職の成果物を、工場に納めに行く時に何気なく付き添ったことが石塚氏の運命を変える。納品先は、当時新しい工法であったホットスタンプ印刷の工場であった。一見してホットスタンプに興味を抱いた石塚氏は、ほどなくして平日の夜間にその工場でアルバイトをするようになる。金銀光沢やカラフルな色などが一瞬にして表面に装飾されるその面白さからだろうか、夢中になって取り組んだ。工場の経営者に聞いた売値から「これは事業になる!」との直感が働き、それまで目指していた自動車整備工場の開業よりホットスタンプでの開業に気持ちが大きく傾いた。
「1年間で開業資金100万円を貯める」と26歳の誕生日に決意して、勤務先をタクシー会社に切り替えることにした。車両修理工としての勤務であったが、より稼げる運転手を志願し、自分との約束として1日の売上目標額を1万5千円と決めて懸命に働いた。しかし100円タクシーの時代で目標額達成は困難であった。そんな時、アイデアマンの石塚氏は冬の寒い時期に他の運転手が洗車するのを嫌がる光景を目にして、「皆の嫌がる洗車を1台1千円で請け負えば、1日5~6千円稼げる」と閃いた。そうするとさばききれないほど洗車の依頼が舞い込み、見事に目標を達成して開業資金を貯めていった。
タクシー運転手という職業は、色々な人々との出会いも提供してくれた。お客として知り合った何人かの企業経営者と懇意になり、幾度となく足を運び企業経営のイロハを学ばせて頂いたこともあった。
こうして技術と資金そして知識が揃い起業の機が熟した1971年、5坪のしもた屋に同業者から中古機械を譲り受け個人事業として開業した。ただひたすら“お客さんを喜ばせる”という思いで夜中まで夫人と作業する。「君のところ納品速いね」と褒められる。これだ!お客さんの喜ぶことは。1974年に社名をダイヤ工芸として法人化してからは、順調に売上を伸ばしていった。
しかし、それから10年後のバブル期に、同社は赤字に苦しむこととなる。同業者が儲かる仕事のみを受ける中、同社は依頼してきた大手メーカー各社のために、人手不足の状態にもかかわらず採算性の低い面倒な案件や試作案件などを引き受けていたからである。その結果、金融機関も寄り付かない時期もあった。しかし、面倒な案件や試作案件を請け負う中で築き上げた顧客との信頼関係が大きな財産となり、バブル崩壊後も注文が途切れることのない状態となった。その時を石塚社長はこう振り返る。「先に金勘定から入ってはダメ。お客さんの要望に応えることが大事。無理をいう場合はお客さん自身も『悪いなぁ』と感じているので、普通の人なら『後で何とか良い思いをさせたい』と思ってくれているはず。どうせやるなら気持ち良い笑顔を見せて喜んでやった方がいい。」

苦しい時代に来てくれた日系人“人財”が会社を成長させてくれた

赤字の時代には、もう一つ会社の貴重な財産を手に入れた。文字通りの“人財”である。
仕事が増える中で人手不足が喫緊の課題となっていた。何とかしなくてはいけないと考えていたころ、テレビのニュースで入管法が変わり日系人を雇用できることを石塚社長は知る。持ち前の行動力を発揮し、テレビ局に電話をかけて入管法の窓口を聞き出して説明を聞いてから、自らの知り合いを辿ってブラジルのサンパウロへ一人飛び立つ。しかし現地では既に日系の大手企業が説明会を開いて大盛況となっていた。時給面で及ばない名もなき企業では歩が悪い。しかしここでへこたれず打開策を考えた。「大手は残業できないはずだ。一方、当社は残業と夜勤を併せれば、トータルで大手より稼げる」その点を強調すると、溢れんばかりの人が説明会に押し寄せ、多くの日系人を雇用することができた。
職安法に触れるのではないかと監督官庁に呼び出されるなど、雇用までは苦労の連続であった。しかし、それを忘れさせてくれるのは、“天下一品”の日系人たちの礼儀正しさ、仕事への姿勢、技術習得の速さであった。日系人従業員には助けられた。ノートパソコンが出始めた時、ディスプレイの光の具合を整える導光板という板の印刷が困難な課題として立ちはだかっていた。少々不安はあったが、技術開発一式を日系人にまかせてみたところ、他社に先駆けて完成させることができ利益率も向上するという嬉しい状況になった。今では、社員の半分以上が日系人である。
尊敬する松下 幸之助の言葉「人を作ることが尊いこと」を大事にしている。社員には自分の受けた仕事の責任を全うする機会を与え、“本人の構想を聞く”ことを心がけている。責任感を持たせ、意見を尊重するとことで全社員が“その道の達人”となることを目指し行動が変わってくると言う。

新しいものを生み出すため印刷の世界にNCを持ち込む

今までは、同社の進む先にはPCや携帯電話などの将来的に見込みやすい需要が用意されていた。しかし、さすがにリーマンショックの影響は大きかった。「次の時代に繋がる市場開拓が必要だ」新しい分野への進出を石塚社長は決意している。一人ひとりにテーマを与えて、「このまま新しいものが生み出せないと、誰かが辞めなくてはならなくなる」との危機感を社内で共有し、”突破2009″と称して新製品開発の流れを新たに決めた。アイデアを検討会に諮り、残ったものは原則10日間で試作完了させる。
新製品開発プロジェクト第1段として完成させたのが、”多面体1工程印刷”技術である。複雑形状に一発で全周印刷できる点が非常に画期的でコストダウンにも寄与することから、様々な分野からの反響も大きい。柔らかいゴムやインクを扱う印刷工程に、高精度で動くNC(コンピュータ制御の工作機械)を使うことは困難を極めたが、何とか1回転1色刷りを完成させることはできた。しかし、まだ技術的には発展途上と考えており、究極の目標である1回転多色刷りに向かって挑戦を続けている。

川崎市産業振興会館
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