路面のカラー塗装化と共に、街に楽しく明るい空間を演出する投光機メーカー
事業内容 | 移動式投光機「ライトボーイ」の設計製造、道路区画線工事、舗装工事 |
企業名 | 株式会社 ライトボーイ |
創業 | 1978年(昭和53年)7月 |
所在地 | 〒215-0033 川崎市麻生区栗木2-6-14 |
電話 | 044-281-0601 |
FAX | 044-281-0607 |
従業員 | 30名 |
代表 | 代表取締役会長 吉森 徳仁 (ヨシモリ ノリヒト) |
資本金 | 2,000万円 |
URL | http://www.light-boy.com/ |
“ご迷惑おかけします”夜の工事現場で働く作業員の傍らで、そんな文字が書かれたバルーン投光機がひっそりと、しかし明るく輝くことで夜の闇から安全と安心を守っている。投光機(照明装置)は脇役、今までは道往く人々の注目を集めることのない存在であったが、日本の投光機ブランド「ライトボーイ」によって、脇役から主役に躍り出る新製品が次々と生み出されている。
創業の苦労から生まれた経営スタイルの確立
社名“ライトボーイ”が示すように、当社の主力商品は移動式投光機であり、業界の国内トップシェア(推定70%)を誇るリーディングカンパニーである。しかし創業の礎となったのは“ライン屋(道路の白線引)”であり、それは現在も当社業務の一つとして、路面標示工事とカラー塗装化で交通の安全安心の確保や街の美観向上に大きく寄与し喜ばれている。
福岡から上京して電子機器メーカーに就職していた吉森 徳仁氏(現 代表取締役会長)は、常々独立の夢を持ち続けていた。知人から“ライン屋”をやらないかとの誘いを受け、地道ではあるが社会貢献性が高く、将来性のあるビジネスに魅力を感じて1978年に個人創業を開始、半年後に株式会社グリーンライン(1988年にグリーンサービスに改称)を立ち上げた。間もなく石井 良和氏(現 代表取締役社長)が入社し、以降二人三脚で今日の㈱ライトボーイを育て上げてきた。開業当初は、仕事がない、人が居ない、金がない、の“無い無いづくし”であった。そんな中で後発組である当社が生き残るために取り組んだことは、業界慣習に一石を投じることであった。道路工事の中でも白線引は価格が明確では無く、どんぶり勘定であったが、これに標準価格(メートルいくら)の概念を業界で初めて取り入れた。すると発注側は予算の見積りが立てやすくなり、仕事は徐々に増えていった。
仕事が増えてくると、白線引は舗装工事の進捗に左右されるため、作業の開始、終了時間が不規則で、定時に出勤退社をするサラリーマン組織には合わないと気付いた。そこで現場経験を積んだ人間が事業主として独立開業できるよう必要な機械一式を貸し出しするなどの手助けをし、独立後は当社の外注先として現場を任せるという請負契約制を導入した。当社は工事の元受先として営業に特化することができたと同時に、現場での進捗管理徹底と作業の効率化が促進された。本部(管理部門)と現場との業務の重複を防ぎ、現場の自主性を喚起するこの経営スタイルは、投光機事業部にも引き継がれており、投光機の組立は、研修期間を終えた工員が独立開業し、請負契約を結んで当社の一階部分を間借りして行なわれている。
チャンスをとらえ、多角化(投光機)へ乗り出して大成功
路面標示工事で実績を上げ始めたころ、「夜の作業現場をもっと明るく安全に出来ないか」との話があちこちで持ち上がった。独立は果たしたが「ものづくりの世界で活躍したい」とも考えていた吉森氏は、これがチャンスと早速開発に取り掛かり、1985年に移動式投光機の製造・販売を開始した。
当時市販されていた投光機は外国製で、持ち運びにもクレーン車両を必要とするような大型重厚で高価格なものであった。これに対して日本の道路事情に合わせた、人力で移動できるほど小型軽量で、安全性・操作性の優れたコンパクトな投光機を投入し、業界の注目を集めることが出来た。しかし発表当時は商品が良くても販売チャネルが無く、知り合いに数台が売れただけであった。そこで投光機とは必ずセットとなる発電機の大手、ヤンマー㈱とコラボレーションを組むことを考えて同社の扉を叩いた。試しにと展示会で試作機を発表したところ評判は上々、デザインの改良などの宿題はあったがヤンマー㈱との取引が決定し、現在はヤンマー建機販売㈱のチャネルで全国展開を行っている。 全国展開をするにあたり、“ヤンマーの発電機を搭載した㈱グリーンサービス製の投光機”に、ブランド名を社内募集した結果“ライトボーイ”が生まれた。2003年には社名も株式会社 ライトボーイと改称し、長年の夢であった「ものづくりの世界で自社ブランドを育てたい」との思いが達成された。
優れもののライトボーイが、次々と新たな分野に進出
投光機のランプにはHIDランプ(高輝度放電ランプ)を使用する場合が多い。放電ランプを点灯するためには、電流・電力などを規定値に制御する安定器が必要である。従来の安定器は銅鉄安定器という大きくて重く、エネルギー損失の大きいものが使用されていたが、当社はクラス最軽量の電子安定器を自社開発した。
電子安定器の開発により、再点灯時間が短い、チラツキが無い、スーツケースに収納できるほどコンパクトで電圧や周波数に関係なく世界中どこでも使える投光機を提供できるようになり、業界での優位を確立するとともに、工事現場以外の新たな分野への応用が無限に広がりつつある。 投光機=“スポットライトタイプ”という常識を覆す、360度を照らす巨大なUFOのような“バルーンライト”が登場し話題となった。全国各地のイベント会場には様々な色や形の“デザインバルーン”が登場。地元川崎においては川崎ハロウィン2009に「かぼちゃ型バルーン」、麻生地区の消防出初式には「纏(まとい)型バルーン」が出現し、イベントを大いに盛り上げていた。これらのデザインバルーンは市民から好評で、今後あらゆるところでお目にかかることとなりそうである。
激動の時期を乗り切り、標準化を進め、さらに高い成果を達成する
当社は企業成長に4つの波があるとし、第一期フォーミング:立ち上げ、第二期ストーミング:激動の時期、第三期ノーミング:体系化・標準化の段階、第四期パフォーミング:高い成果を実現する時期のうち、今は第四期を迎えようとしているという。この4月にはグローバル展開のための増強として4名(電気3、機械1)の新たな仲間が入社してくる。「これからは海外に目を向けたい。投光機の先達である欧米および途上国へ、当社のコンパクトで高品質の商品は受け入れられると思います。課題は販売チャネルの開拓です」という。 静かな中にも強い意志を秘めた吉森会長は、「自分は周囲を顧みず全力で突き進んでしまうタイプ。何度も社員と衝突したこともあったが、その度に石井社長が上手くまとめて皆を引っ張ってきてくれた」と過去を振り返る。会長の強いリーダシップと、社長の柔軟な包容力で必ずこの第四期の波を乗り切っていくであろうというエネルギーを感じた。