有限会社 相和シボリ工業

かわさきマイスターに輝く職人の技で高品質なへら絞り製品を提供

相和シボリ工業 代表写真
社長 大浪 忠
事業内容 へら絞り加工
企業名 有限会社 相和シボリ工業
創業 1982年(昭和57年)12月
所在地 川崎市高津区新作3‐3‐2
電話 044‐888‐6361
代表 大浪 忠(オオナミ タダシ)
URL http://aiwasibori.com

へら絞りとは、平面状や円筒状の素材となる金属材料を回転させ、ヘラと呼ばれる棒を押し当て局部的な塑性変形を徐々に繰返し与え、全体の製品形状を創成していく加工方法のこと。相和シボリ工業の大浪忠社長は、「かわさきマイスター」の称号を持つ、この道50年のへら絞り職人だ。高度な熟練の技で加工の難しい材料も絞ってみせる元気企業を紹介しよう。

21歳で仲間と独立 手作りのへら絞り機で材料を絞る!

1961年、大浪忠氏は故郷の宮城県石巻を後に上京し、品川の金属絞り加工会社に就職した。入社して2年くらいは掃除などの下働きが続き、その後親方からやってみるかと声が掛かるようになり、簡単なモノから少しずつ、へら絞り加工を覚えていったという。
21歳の時、兄を含めた仕事仲間5人で独立し、会社を設立した。当時の日本は高度経済成長の真っ只中であり、仕事には事欠かなかった。例えば、駅前の時計台などに設置される大きな丸い時計の外装を製作する仕事では、月に400~500個を製作するという忙しさであった。「自分たちで旋盤などを分解して部品を取り外し、その部品を使ってへら絞り機を手作りしました。また、当時は一つの動力源からベルトを使って複数の機械へ動力を伝えていたため、機械に馬力がなく、材料を絞るのに時間が掛かりたいへんでした」と大浪氏は当時の苦労を振り返る。
事業は堅調に推移したが、営業担当者が会社の金を使い込み、借金を背負ってしまうという苦い経験もした。しかし、幸い景気のよい時期でもあり、皆で仕事をこなすことで借金を返済し、乗り切ったという。
その後1982年に兄の会社と分かれて、相和シボリ工業を設立し、社長に就任した。設立当時は、新規の顧客を開拓するため、夫婦で客先を回った。奥様が運転する車に同乗して顧客を訪問し、大浪社長は慣れない営業をこなしていった。また、第三京浜のインターチェンジが近く、交通量の多い道路に面した当社には、「へら絞り」の看板を見たバイヤーが飛び込みで来社することもあり、このような突然の依頼にも丁寧に対応してきた。地道な営業努力と誠実な仕事ぶりは、顧客の信頼を得るところとなり、得意先の確保につながっている。ちなみに相和シボリの社名の由来は、相手と和をもって接するという意味であり、そこにはお客様を大切にするという社長の思いが込められている。

「かわさきマイスター」に輝く熟練の金属へら絞り技術

へら絞り加工は、金属板を筒状やおわん状に加工するのに適している。当社は比較的厚物の材料の加工が得意であり、ステンレス、アルミ、鉄、真鍮、銅に加え、加工の難しいモリブデン、インコネル、タンタル、チタンなど、さまざまな材料を絞って成型している。サイズは直径1cmなものから1m物まで絞ることが可能だ。手絞りによる単品の試作から、自動絞り機による2万個程度の量産まで、お客様の多様なニーズに応えている。
主な生産品目としては、照明カバー、機械カバー、送風機の吹き出し口、船舶の燃料タンク部品、半導体製造装置の部品などがあげられる。私たちに身近なところでは、横浜スタジアムの照明用反射板がある。ただし、試作品や少量品の注文では、顧客の製造装置や試験装置などの企業秘密にかかわる場合もあり、明確な用途を教えてもらえないこともあるという。
例えば、半導体製造装置向けの部品では、1個当たりの材料費が数十万円もするモリブデンをへら絞りで加工し、顧客の望む形状に成型している。これは顧客が当社の手絞りの技を見込んでの依頼だ。また、大きな金属板を絞って成型する場合、「なまし」と呼ばれる熱処理を加えながら絞るのが一般的である。しかし、大浪社長の高度なへら絞りの技によって、なましを施すことなく加工することが可能。これにより、当社は製造時間を短縮し、短納期化や低コスト化を実現している。
そんな大浪社長は、2011年11月、川崎市から「かわさきマイスター」に認定された。かわさきマイスターとは、手や道具を駆使し、極めて優れた技術・技能を発揮して産業の発展や市民の生活を支える「もの」を作り出す現役の技術・技能職者に贈られる称号のこと。社長が持つ卓越した金属へら絞りの技は、市内最高峰の匠という評価を受けている。 このような職人の匠の技は、どのように身についていくのか。「へら絞りの感覚は体で覚えるしかありません。どうやったら金属板を傷めないで絞れるか、ヘラ棒の当て方や力の入れ具合など、微妙な感覚は口で言って分かるものではありません。材質、板厚、絞り深さ、形状が変われば、絞り方も変わります。また、同じ材料でも、メーカーやロットで、絞った時に違いが出てきます。実際に絞ってみて初めて、どうすればお客様に満足いただけるよう成型できるかが分かります」「私は50年この仕事をやっていますが、自分の仕事に『これでよい』『満足した』ということは一度もありません。今でも毎日が勉強の連続です」と大浪社長は、へら絞り道の奥深さを語る。

自社ブランドのビアグラスを商品化! 課題は後継者への技能の継承

大浪社長の熟練の技は、長男の友和氏に受け継がれていく。現在、大浪友和氏は工場長として、量産品のへら絞り加工を一手に引き受けている。自動絞り機にティーチングのデータを登録し、安定した品質の製品を量産していく。手絞りと同様、材質、板厚、絞り深さなどに合わせて機械や工具の設定を細かく調整することが必要で、熟練を要する作業だ。今後は、父親の匠の技を継承し、事業をさらに発展させていくことが大きな課題となる。
大浪工場長が当社の新しい事業の柱とするため取り組んでいるのが、自社ブランドでのオリジナル商品の開発だ。デザイナーの平川貴啓氏(http://www.th-design.jp)と組んで、ステンレス製のビアグラスとピンディッシュを製品化した。一般に深絞りに向かないとされるステンレスを使用し、通常の金型では加工が難しい飲み口の狭まった形状を、へら絞り技術とプレス技術の組み合わせにより実現している。グラスは手に持ちやすい大きさと形状にこだわりぬいたデザインだ。本ビアグラスは、2012年2月開催の東京インターナショナル・ギフト・ショーに出展し、好評を博した。
「ビアグラスは表面を研磨して仕上げますが、深く絞った内側の面は研磨しにくいため、外注先に断られてしまい、私たちで研磨しました。出展に間に合わせるために徹夜しましたが、苦労した分良いモノができました」と工場長は笑顔をみせる。「へら絞り加工に加え、新たに設備を導入することでプレスなどの加工も自社で対応し、さらに付加価値を高めた製品を、お客様に提供していく。将来は工場を大きくして人を採用したい」大浪工場長は今後の事業展開を力強く語る。

川崎市産業振興会館
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