精米技術の新応用で新しい玄米食を提案する
社長 成川 亮治
事業内容 | 米穀の販売、米穀関連商品開発 |
企業名 | 株式会社 成川米穀 |
創業 | 1930年(昭和5年)6月 |
所在地 | 川崎区貝塚1‐21‐11 |
電話 | 044‐233‐3690 |
代表 | 成川 亮治(ナリカワ リョウジ) |
URL | http://ricemama.com |
川崎の中心街からほど近い一角に、いまでは珍しく大がかりな精米設備を備えた、老舗の米穀店が居を構えている。コメ流通という歴史の古い分野で、成川米穀は自社独自の商品開発に乗り出し、新しい魅力を持つ玄米加工商品を世に出し、注目を集めている。
厄介だった玄米という商品
「つい十年くらい前までは、玄米は米屋にとって、あまり手掛けたい商品ではありませんでした。米屋の仕事は精米をすることで商売になるので、その加工をしない玄米という商品は、単に物流を担うだけのもの。玄米を購入するお客様は、調理の直前に自分で精米するので、それまでは保存性のいい形で持っておきたい、というニーズで購入していたようです」と、成川米穀の成川亮治社長は自社独自商品開発の経緯について説明する。
かつては、健康にいいという理由で玄米を買う最終消費者もいたが、その層の需要は栄養価を優先していたので、食味としてはあまり美味しくないコメを玄米として販売するような風潮もあったという。「玄米はもともと美味しく調理することが難しいので、健康のために玄米を食べよう、という人は、はじめからおいしさは諦めていたようです。玄米には薄いけれど堅い渋皮があって、炊飯のときに水に浸してもなかなか水分を吸収しない、非常に手間がかかる食材なんです」。
そんな厄介な素材に着目したのは、成川氏自身が健康に配慮して、玄米食に興味を向けたことがきっかけだったという。「アメリカのボストンでは、マクロ・ビオティックという玄米を主食にした生活スタイルが注目されている、と現地に住む息子が言ってきました。もともとは、ある日本人が欧米で提唱した玄米菜食の考え方をヒッピー達(自然への回帰を提唱する人々の総称)が日本の禅などへの興味から影響を受け、支持が広がったとのことでした」。 ちょうど日々の生活で疲れやすさを感じていた成川氏が、玄米食を続けたところ、数日のうちに体調の改善を実感、改めて玄米の新商品開発を考える契機になった。
無洗米の技術を玄米精米に応用
成川氏が玄米菜食の勉強会に参加して耳にしたのは、「玄米がもっと手軽に炊くことができればいいのに」という意見だった。玄米は透明の硬い渋皮で覆われているのだが、玄米のままで精白をしないと、その渋皮が調理加工の手間を増やすという難題がある一方で、糠の層をすっかり精白して白米にすると、ミネラルやビタミンなどの栄養素が多く失われてしまう。渋皮だけを取り除くことができれば、調理しやすさや食味と栄養価のいいところ取りができるはずだが、薄くて硬い渋皮だけを取り除ける精米加工技術は成川氏の知る限り存在しなかった。
「消費者は白米への憧れが強く、昔からの精米機は、きれいな精白こそ付加価値であるため、米粒の表面をかなり厚く削ってしまいます。そこで、違う分野の技術で何か応用できるものはないかと探し回って、広島の方のある技術者の話を耳にしました。その方は、一度精白したコメから、糠を取り去る無洗米加工の技術を開発したということでした」。
成川氏は、早速その無洗米加工技術を玄米加工に転用してみたという。すると、まさに玄米の渋皮だけをうまく剥くことが出来た。「無洗米加工にはいろいろな種類があるのですが、その加工機械はローラーの微細な刃に特徴があって、直接刃に触れた米粒から糠を剥き取るという技術です。これが玄米の渋皮にもちょうどよかった。通常の精米方法だと表面に熱を持つため栄養化が損なわれたり表面が荒れて食感が悪くなります。ところがこの方法だと、それが無いんです」。 この技術との出会いが、玄米の栄養とおいしさを両立させた自社開発商品、「マクロ美人やわらか玄米」につながった。
保守的な「お米屋さん」の世界から革新を
成川氏は元々米穀流通の業界にいたわけではなく、人材営業という全く違う分野で働いていたという。しかし夫人の実家である米穀店が転業してコンビニエンスストアのフランチャイズになるという計画を聞いて、それよりは自分が事業継承をしようと決心し、「お米屋さん」の三代目に転身した。
「この業界はとても保守的なところがあって、店舗も他業種の小売店では考えられないような、薄暗くて地味な店が一般的でした。営業努力も競争も少なく、常連客にコメを配達するばかりで店頭での接客があまり大事にされず、お客さんが気軽に店内に入ることもしにくかった。ちょうどそんな頃(平成5年)に米騒動が起きました。コメが非常に不作の年で、日本中で米屋の前に行列ができるようなパニックが起きている中で、昔ながらのやり方の業者が横柄な売り方をしていました。消費者はそんな態度に嫌気がさしていた。それを変えようと思って、明るくて入りやすいという小売店としては当たり前の店舗を作ってみました。すると次の年には、私たちの店舗『らいすママ』にお客さんの乗り換えがあって新しいお客さんがたくさん来てくれた。本当に助かりました」。 コメの販売との相乗効果を考えて、ランチタイムにはおにぎりの販売も展開している。物販とは繁盛する時間帯がずれるので、効率的な店舗のオペレーションにもつながり、成果を上げているという。
日本の棚田を護っていきたい
新しい商品開発にも積極的に取り組んでいる。成川氏はNPO法人「棚田ネットワーク」の会員として、棚田の保全活動の一環として日本各地の棚田で生産される米の商品展開も手掛け始めた。
「平地の田んぼの水には、生活排水も混ざってしまいます。一方で棚田というのは傾斜地につくられるので、農村の周縁部にあって、山からの一番きれいな水が最初に流れ込みます。しかも高地にあって麓よりも昼夜の気温差が大きいなど、おいしいお米ができる条件が揃っています。機械を入れにくい棚田でわざわざ作るコメは、農家が自家消費用にすることが多いので、手刈り、天日干しで手がかかっているし、原産地のトレーサビリティも高いんです」。
ところが、それだけ高品質な棚田のコメはほとんど流通せず、農協にもち込まれたとしても普通のコメと混ぜられていた。それをなんとか棚田の産米だけ別にして流通させることができるように交渉したという。
「棚田はなんといっても景観が美しい。そういう風景を護るためにも、棚田の産米をもっと買ってもらいたい。お茶碗一杯分だけでも、この棚田のお米が買いたい、そんなお客さんにも対応したいと思っています」と成川社長は語る。