株式会社 日本サーキット

情報感度高く先回りして、電子機器産業の開発を支えるベンチャー

日本サーキット 代表写真
社長 酒井 哲広
事業内容 電子機器回路の開発・設計・製造、ソフトウェア開発、基板設計 他
企業名 株式会社 日本サーキット
創業 1989年(平成元年)9月
所在地 〒210-0005 川崎市川崎区東田町1-2  NKF川崎ビルディング7階
電話 044- 221-0231
代表 酒井 哲広(サカイ テツヒロ)
URL http://www.circuit.co.jp/

「当社の社名を見て、自動車関係の会社と勘違いして来る方も多いです」と(株)日本サーキットの酒井社長はにこやかに語る。同社は、電子回路の開発・設計を中心的な業務としているが、事業領域は幅広く、自動車にも同社の製品は使われている。25年の歴史がありながら、進取の精神に満ち様々な市場で使われる電子機器の開発支援をしている同社の成り立ちをお聞きした。

転職情報誌から始まった起業であったが、信頼感で成長軌道にのった

小さな頃からアマチュア無線などに親しんでいた酒井氏は、大学でも通信工学科へ進み、マイクロ波に関する研究をした。卒業後は自然な流れで大手の無線機器メーカーに入社し、無線機に搭載される高周波回路を主とした電子回路の開発・設計を担当した。そこでは、様々な開発にチャレンジできる環境を活かし、自分のアイディアを入れ込んだ無線機を形にしていった。しかし、入社して5年ほど経ち、脂がのっていた頃に、自信を持って提案した開発が会社の方針に外れていたために頓挫してしまう。「自分の力では会社は変えられない」と悟った酒井氏は、ほどなくして退職の道を選ぶ。しかし、「もともと独立志向はなかった。むしろ自己分析すると自由人」という言葉通りに次の当てもなかった。することもなく当時住んでいた武蔵小杉のアパートの6畳間の天井をずっと見つめていた。そして3日ほど経ち「行動あるのみ」と閃き、酒井氏は意外な行動にでた。書店に向かい、転職情報誌を買って、ある基板製作会社の面接に応募したのである。そして面接当日、自分のやりたいことや“高周波回路を理解して基板設計ができる”強みについて堰を切ったように語り出した。更に続いたのは、耳を疑う言葉だった。「だから、私に仕事を出してほしい」と非常識なお願いをしながら、前日駆け込みで作った自分の個人事務所の名刺を差し出した。しかし、そんな酒井氏に何かを感じたのであろうか、面接官の一人であった常務が半ばあきれたように、「わかった。仕事を用意しておくよ」と資材部門へ繋いでくれて、最初の発注を獲得することができた。
それでも酒井氏は、単なる勢いだけの人物ではなかった。音声信号を処理する回路基板の設計を受注すると、顧客から頼まれてもいないのに、3パターンの図面を起こして提示した。一つは、最も製造しやすいパターン、二つ目は、最もノイズに強く動作的に間違いのないパターン、3つ目は、製造とノイズの中間のパターンであった。顧客の懸念事項を先回りして解決策をもってきたことが驚きを呼び、酒井氏の評価は確固たるものとなった。何の後ろ盾もない自分に仕事をもらえる喜びで、「お客様の身になって仕事をする」ことに目覚め、もはや独立に迷いはなかった。そうして、仕事が順調に増えてゆき、1年ほどで法人化して、株式会社日本サーキットが誕生した。

バランスのとれたソリューションで日本の電子製品開発を支えてきた

会社設立した1998年頃は、仕事には不足しない時代であった。しかし、同社は目の前の仕事を差し置いて、一見回り道と思えるCAD(コンピュータを援用した設計)化への投資を進めてきた。また、人手不足ではあったが、将来を見据えて客先に出向してCAD設計を勉強した。そういった先行投資が実を結び、CAD対応のできる設計会社という評判が立ち、更に信頼を集めた。小さな設計会社であったが、大手企業が何社も直接取引してくれた。
先回りして次の機会に備えたことで、対応の幅も広がり、順調に会社は成長し、回路設計、組込ソフトウェア開発、基板設計、製造受託などを通じて、日本で生まれる様々な電子製品の開発を支援してきた。CD/DVDプレーヤーや自動車のエンジン制御などの開発を、少数精鋭で対応してきた。今では取引先は300社以上になり、やりとりするだけでも大変手間がかかるが、「バランスをとることでリスクヘッジする」という強い意識により、踏みこんで仕事をして特定業界に依存する企業体質にならないよう意図してきた。バランス意識は製品開発や設計においても反映され、顧客の求める機能を達成するために、使用する部品の特徴を理解した上で、仕様面、開発や製造のリスク面、価格面、メンテナンス性などの総合的にベストなソリューションを提示する。一つ一つ手間をかけてきた創業以来の25年間を、「独立して良かったとは思いますが、楽をしたと思ったことはないですね」と酒井氏は振り返る。
現在は、国内の電子産業の海外移転が進み、経営環境は決して楽なものではないが、「日本のモノづくりを最適化する支援」をキーワードに前向きに事業展開している。開発行程におけるアジアのパートナー企業との協力関係の強化を図っている他に、2009年には、基板設計・プリント基板の販売サイトである“きばん本舗”を立ち上げた。また、12年末には、高周波のプリント基板設計専門サイト“GbitBoard”、そして、EMC(電磁環境両立性)対応に関する支援サービスサイト“EMCRescue”を立ち上げた。最適化支援の一環として、顧客の電子回路に関するお困り事のポータル(玄関)サイトとなることを目指している。

メーカーになるという目標に向けて、更なる成長を目指す

「新しいことをやるのに抵抗のない体質」と自己分析する酒井氏は、世間の様々な情報にアンテナが立っている。「情報のライブラリは増えていくが、捨ててはいない」と事業化できるタネを常に温めている。
一方、管理面では自身が「少し引く」ようにしている。それも創業者がいなくても一人歩きできるパワーバランスと自浄作用の働く会社にするためである。そのため社員教育は重要視している。社員の仕事の切れ目を一気に教育する機会ととらえ、開発と設計の両方ができるマルチ人間を育てるようOJTを優先させている。マルチ化して一人で案件対応することで、顧客への責任感が芽生え、自律化が進んできている。
また、管理システムなどの仕組み作りも充実させている。WEBデータベースにより、工数管理や案件管理をしている。これらも社長からのお仕着せにならないよう、最前線で働く社員たちが自らカスタマイズすることで社内定着してきた。
酒井氏には、未だ達成できていない目標がある。それは、「メーカーになる」ということだ。発想力で人々を驚かせられるかどうかを挑戦のテーマとして、現在動き出している。平成25年のかわさきものづくりPR製品として開発された“ニキシー管時計“もその一つである。この時計は、木製フレームの中にニキシー管(数字等の情報を表示する一種の冷陰極放電管)を4管備え、レトロな雰囲気のインテリアとして仕上がっている。13年度には、現在主軸である高性能プロセッサー用評価ボードに加えて、ポータブルヘッドフォンアンプなどを自社製品化する予定である。酒井氏の発想力と社員の知恵が結集し、今後も顧客満足の高い製品・サービスを提供していくであろう。

川崎市産業振興会館
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