本物にこだわり圧倒的な質の向上を追求する非接触式高精度三次元測定器メーカー
社長 浜野 治海
事業内容 | 非接触式三次元測定器の設計、製造、販売、三次元データ測定、造形 |
企業名 | 株式会社 浜野エンジニアリング |
創業 | 1976年(昭和51年)10月 |
所在地 | 川崎市高津区坂戸3-2-1 KSPR&D棟339 |
電話 | 044‐819-2168 |
代表 | 浜野 治海 (ハマノ ハルミ) |
URL | http://www.voxelan.co.jp/ |
(株)浜野エンジニアリングは、歴史に名を刻む数々のヒット製品の開発に携わっている。同社の主力製品である、非接触式高精度三次元測定器「VOXELAN(ボクセラン)」は、日本人の体格測定を非接触で実現した国内初の測定器であり、日本人の体型に適応した衣類等の普及に貢献した。また、事務用品として知られる、左右のどちらからも開け閉めできる文書ファイルや、回転式の家庭用ラベルシール印刷機も、同社の浜野治海社長が機構設計を手掛けた作品の一つである。
1976年、工業製品の設計コンサルタント業として産声を上げた同社は現在、メーカーとしての地位を確立している。その足跡には常に知的財産の存在があった。
知的財産が富を生むビジネスを米国に学ぶ
浜野社長は大学4年生だった1971年に、全米を巡りながら米国流のビジネスを学んだ経験がある。その時、最も衝撃を受けたのが、コンサルティング業が盛んな文化だったと言う。
「当時、日本には“コンサルティング”や“カウンセリング”といった言葉もなく、無形のサービスに対して、お金を払うという概念すら存在していませんでした。そんなビジネスが成り立つ米国の文化に驚くと当時に、自分も日本で実現してみたいという夢を抱くようになりました」
帰国から5年後の1976年、浜野社長は機械設計にデザインを取り入れた、コンサルティングを生業とする「浜野エンジニアリング」を設立した。しかし案の定、日本の工業界では、コンサルティングやデザインに対する評価は低く、“図面屋”と呼ばれ専ら製図の仕事にあたったのだった。
「現在のようにCAD/CAMが存在しない時代だったので、製図の仕事はたくさんありました。本意ではありませんが、夢を実現するために図面屋に徹して資金を蓄えました」と当時を振り返る。
浜野社長がその頃に作成した図面を見せてもらうと、アイソメトリックス法と呼ばれる、米国で学んだ三次元の投影法が採られている。それまで二次元の図面しか見たことが無い、日本の顧客は一様に驚きを隠さなかったらしい。この“見せ方”が知的財産ビジネスの始まりでもあった。
やがて、設計コンサルティングとしての認知も広まり、多くのメーカーの製品開発に関わるようになる。冒頭の左右開閉式の文書ファイルや、ラベル印刷機等の事務機器のほか、生姜のスライス装置や、寿司握り装置といった業務用の調理器の設計も数多く手掛けていく。
ここにも同社のユニークな知的財産ビジネスが存在する。例えば生姜スライス装置の場合、どのような形状の生姜でも、確実にスライスできる機構を設計する。そして、機能を徹底的に追及し、それを工業デザインとして具現化する。さらに、開発の過程で生まれた発明は、特許権という価値を付加して提案していく。これにより顧客は独占的な競争力が得られ、自社にはライセンス収入が入る仕組みである。
このギブアンドテイクの精神も米国で学んだと浜野社長は言う。まさに、知的財産が富を生むビジネスである。
日本人の体格測定の歴史に名を残す名機「VOXELAN」の誕生
1989年からは、大企業が所有する知的財産を活用したビジネスを展開する。それが、同社初の自社製品「VOXELAN」の開発である。
国が日本人の身長や体重などの骨格データを計測し始めたのは、1978年に当時の通商産業省が、0~69歳までの男女4万6千人の人体寸法データを採取したことによる。次いで1992年から2年間、男女3万4千人を対象に178箇所もの部位を細かに計測し、人体計測データベースを整備する事業が実施された。そのデータは産業界に初めて提供され、日本人の体格にあった衣類や椅子などの製品が、市場に普及することになった。この時、使用された人体測定器が同社の「VOXELAN」である。
本装置は、立体物を非接触で測定できる国内初の三次元測定器であり、接触が困難な物体や、人体のように接触すると変形してしまう物体の測定に適した特徴を持っている。
設計コンサルティングを生業とする同社が、自社製品開発を手掛けた経緯を浜野社長に伺った。
「非接触式の三次元測定器の基本特許は、元々ある大企業が所有していたものです。その特許を製品化できる企業を探しているとの情報を得て、手を挙げたことがきっかけです。既に、いくつかの企業が立候補していましたが、それらに勝てる方法を知っていました」
元々、三次元データの取り扱いを得意とする同社だが、浜野社長が言う勝てる方法とは、 “プレゼン”のあり方だった。これも米国流である。
「図面と見積書を提出するだけでは、担当者が理解できても上司が判断することができません。そこで、三次元デザインの図面と合わせて紙製の模型を作り、コンセプトや内容、金額、新たに生まれる特許等について提案しました」
模型を使ったプレゼンは画期的であったに違いない。商談はすぐにまとまり、非接触式三次元測定機は浜野エンジニアリングが開発と製造を担うことになり、1990年から「VOXELAN」の名称で販売が始まった。現在では人体測定のみならず、肌診断の美容分野や、放射線治療の位置決め装置として医療分野にもシリーズ製品の展開が進んでいる。さらには、近年の3Dプリンタの普及に伴い、3Dデータ測定器としても活躍の場が広がっている。
知識と知恵、アイデアと特許、見せ方と伝え方という総合力が同社の知的財産と言える。
川崎から日本のものづくりを変えていきたい
同社は設立以来、約40年に渡って川崎市に事業所を置いている。その理由について浜野社長に伺った。
「川崎の地にこだわるのは、ものづくりの本当のプロの方々が周りにいるからです。まるで蕎麦屋の出前のように電話一本で図面を受け取り、それぞれのプロが部品加工、表面処理、配線、組立てに携わり、検査の上で納品までしてくれます。プロ同士は図面を口で伝えられるものなのです」
しかし、プロの仕事を受け継ぐ次世代の人材が育っていないことを浜野社長は憂いている。
「今のままでは近い将来、日本のものづくりは衰退するでしょう。それは、ものづくりの実体験を積まずに育った“バーチャル技術者”が多いためです。体験がなければ限界が分かりません、本物に触れなければ良し悪しの区別がつきません、バーチャルだけではものは作れないのです」と熱く語った。
浜野社長は、日本のものづくりの文化と伝統が大切であること、それを守るために、教育こそが重要になると考えている。
「幼い頃から、子供たちには自由に工具を持たせて、実際にものを作らせたり、機械に触れて遊ばせる実体験が必要です。ものづくりの遊び場となるような小学校が、川崎から生まれることを期待しています」とのメッセージをいただいた。
“教育は国家百年の計”という言葉があるが、それはものづくりにおいても同様だろう。浜野社長の言葉からは、人材こそが最も大切な知的財産であるとの想いが伝わってきた。