株式会社 フットボールシーン

情報のパスを回し、サッカーグッズビジネスのフィールドを駆け抜ける

フットボールシーン 代表写真
社長 橋爪 茂樹
事業内容 スポーツ商材の輸入・卸・販売 / 倉庫・出荷代行業
企業名 株式会社 フットボールシーン
創業 2006年(平成18年)7月
所在地 川崎市多摩区生田2‐9‐11‐2F
電話 044‐987‐2044
代表 橋爪 茂樹 (ハシヅメ シゲキ)
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4年に1度、世界中の人々を熱狂させるサッカーワールドカップ。ビジネスとして、サッカーを見てみると市場規模は莫大である。日本では、2002年の日韓ワールドカップを契機に代表ユニフォーム等のグッズが、より身近になった。その販売の渦中にいて、現在は川崎市でサッカーグッズ販売等を手掛ける株式会社フットボールシーンの橋爪社長に、グッズビジネスでの足跡と今後の展望を伺った。

大好きだったサッカーのビジネスに興味をもった少年時代

橋爪氏は、兵庫県に生まれ、小学校から始めたサッカーに熱中し、中学、高校とフォワードやミッドフィルダーとしてサッカー漬けの日々を送った。「人と同じことをしない」という性格の橋爪氏は、「一つ先ではダメ、3つ先ぐらいまで読んでいきたい」という負けず嫌いな性格もあって、兵庫県選抜に選ばれるまでになった。中学生時代の1993年にはJリーグがスタートし、その盛り上がりと同じくして橋爪少年のプロ選手への憧れも大きくなっていった。そして、自然に海外のプロリーグやワールドカップにも魅せられていった。
しかし、高校生になると自分の実力の限界を感じ、プロ選手になる夢の実現の難しさに直面する。それでも、「サッカーに関わりたい」という気持ちから、大好きなサッカーを違った角度から見てみると、新たな希望が見えてきた。FIFA(国際サッカー連盟)やクラブチームのライセンスやイベント等にかかわるサッカーマーケットの大きさに気づいた。そこからサッカービジネスを探求したいと考えるようになった。
周りは進学する同級生が多い中、サッカービジネスに繋がる出版社やグッズ販売会社などを進路として探すようになった。しかし高卒の新人がいきなり希望する仕事につける先はなかったため、そういった会社への採用実績のあるスポーツ関係の専門学校へ入学することにした。1998年4月に入学後、毎週のようにグッズ会社へ「アルバイトの募集はないか?」というアプローチをかけ続けた。そうして8月には日韓ワールドカップのオフィシャルショップを運営する小売会社にアルバイトとして入社できた。
入社後は、店舗での販売、運営などに携わった。スポーツ全体のマーケティングに関わり、人脈もできた。売り場経験を積み、大阪のオフィシャルショップで満を持して迎えた2002年のワールドカップでは、日本全体の熱狂につられて、レジはパンク寸前であったが、必死に店舗を回して乗り切った。
そんな宴が終わった後に転機が訪れる。2003年に会社が大手資本に買収されたのである。その時に橋爪氏は悟った。「販売だけを考えていてもダメだ。在庫やビジネスの仕組みなど会社経営についても知らないといけない」と、違う角度で進むことを決意して退社した。

サッカーで鍛えた先読み力とネットワークを活用して、創業の難局を乗り切る

退社を知り、神戸にあるスポーツグッズやファッション関連の輸入商社が声をかけてきた。その会社では、仕入れから販売・代金回収までのカンパニー制度をとっており、総合的な事業活動を担えると判断し、入社した。海外から自分が目利きしたスポーツ商材を小売店へルート営業する仕事であったが、商品企画などゼロからのマーケティング活動の難しさを体感した。売上や利益のバランスを見ながら、資金がショートしないかを先読みして、販売計画を立てていった。持ち前のアイディアで、取引実績が少なかった小売店の売上を掘り起こして業績を上げていった。
そうして実績ができ、独り立ちできる準備は整った。「卸ならば、築き上げたネットワークでビジネスができる」と確信し、2006年に件の輸入商社からサッカーグッズ販売事業の譲渡を受けて、株式会社フットボールシーンが誕生した。関東の顧客が殆どであったため、「利便性が良く、緑に囲まれた土地で事業をしたい」との思いで川崎市麻生区に設立した。
企画した福袋のキャンペーンが当たり、立上直後からの売上は好調であった。原価率が極めて高く赤字での少量販売が通例の中、「売れる商品を組合せながらも利益が出せる福袋」という逆転の発想で薄利多売により利益を出した。
このビジネスには、ネットワーク構築が大事である。笑顔の絶えない橋爪氏は、年長者からも可愛がられ、前職の先輩などとのネットワークを活かして規模拡大してきている。そのために実践している秘訣は、「聞くこと」である。年長者との酒席などで、さまざまなヒントをもらっている。2008年にはテレビ局などともタイアップ企画をして順調に成長してきた。
しかし、同年のリーマンショックは大打撃であった。主要取引先が事業を縮小するなどして、資金回収が難しくなった。これをきっかけとして小売店は在庫を持たず、卸に転嫁する傾向が強くなった。輸入卸という自社のビジネスモデルの在庫リスクが高まり、足元がぐらついた。そんな時でも「卸一本ではこわい。他に販売力を活かせるビジネスはないか?」と先を読んでいった。その答えが、自社の倉庫にメーカーの在庫を受け入れて、販売代行するビジネスである。不良在庫に悩むメーカー担当者の相談を受けて立ち上げた。流行の変化の激しいファッション業界では販売代行は存在していたが、スポーツ業界では未だなかった。WEB販売会社であるレックスタワーインターナショナルを2009年に設立し、先行者の地位を築いた。半年経った頃には、拡大をめざし、知人に譲渡して、連携して事業をしている。
2010年以降は、川崎市内の倉庫に事務所を移転し、同じくネットワークを活かした手数料ビジネスである倉庫業と出荷代行業を開始した。こうして幅広い事業で様々なパートナー企業と手を組み、小所帯ながらプロ野球の公認フィギュアや海外サッカークラブの公式グッズ、それらのイベント販売を手掛けるまで成長した。

今後は、スポーツ商材のアジア展開と空気清浄器の新規事業を強化

スポーツは、世界中の人に支持される力がある。この10年間で様々な海外クラブチームのライセンス事業を国内で展開してきたが、今後はアジアへも土俵を広げていく。最近は、中国やオーストラリアでもサッカー熱は高まってきており、海外企業との共同事業を始めている。
しかし、選手の成績や人気に売上が左右されるにもかかわらず半年前に発注をかけるスポーツ商材事業はギャンブル的要素が強い。事業ポートフォリオの観点からも異分野でニーズの安定した新規商材の必要性を感じている。販売代行を立ち上げた時も、「目の前の困っている人を助ける」というビジネスの原点に立ち戻ったことで、活路を見出した。同様に、困り事を日々考えていた2014年に、事業パートナーから一つの商材を紹介された。それが空気清浄器『エアーサクセス』(第29回神奈川工業技術開発大賞地域環境技術賞製品)だ。空気清浄器は橋爪氏が自身の肉親の在宅介護での臭気に苦労した実体験と結びついた。早速エアーサクセスを試し、困り事を解消できるとの確信を得て、取扱いを決めた。まだ、事業規模は小さいが、着実に現場での評判は上がってきた。「現在、川崎市の福祉製品開発の支援を受けており、介護現場向けに最適化を進めています」と、橋爪氏は新たな挑戦を続けている。

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