作り手の愛情が製品品質を実現するプラスチック加工のエキスパート
代表取締役 細川 真澄
事業内容 | プラスチック部品の精密切削機械加工、接着溶接・曲げ加工 他 |
企業名 | 有限会社 細川樹脂 |
創業 | 1979 年(昭和54 年)1 月 |
所在地 | 川崎市中原区苅宿30‐1 |
電話 | 044‐433‐3950 |
従業員 | 13名 |
代表 | 細川 真澄(ホソカワ マスミ) |
URL | http://www.hosokawajushi.co.jp/ |
川崎市中原区苅宿の住宅地の一角にある工場には大きなパネルソーがある。パネルソーとは木工品などを加工するときに大きな板を受け入れて、鋸刃で必要な寸法に切断する機械である。細川樹脂は木板ではなく合成樹脂の板、なかでも食品製造ラインの部品などで使われるような高強度で耐熱性のあるエンジニアリングプラスチックの切削加工を得意としている。樹脂は金属より変形しやすいため、長尺や大型の部品では精度維持が難しい。樹脂加工業界において先駆けてNC(数値制御)機械を導入して、独自の加工ノウハウを築き上げてきた同社の細川社長にお話を伺った。
進展著しい樹脂材料に着目して創業、NC 制御の工作機械へ早期に投資
鉄鋼関係の会社で事務職を務めていた細川勝義氏(前社長)は52歳の時(1979年)に「定年前に自分で商売をしたい」と考え、当時材料の進展が著しかったベークライトなどの樹脂の切削加工を主要事業として、自身の兄夫婦と一緒に当社を立ち上げた。
しかし、当時は加工経験者も少なく、勝義氏の兄が1年ほど同業の会社で修業してから立ち上げた状況であった。平屋住宅を改装してボール盤や丸のこ盤などの工作機械を置いただけの小さな工場であったが、合成樹脂の普及が急速に進展した時代でもあり、仕事は順調に増えていった。創業して1年後には人員を増強することとなり、当時出入りしていたゴム会社の営業社員に、その弟(大西氏)を紹介してもらい面接をすることとなった。
大西氏は、伊勢志摩で真珠の養殖を経営していた家庭に育ち、高校卒業後に名古屋の大手食品会社で営業を担当していたが、働く中で「本当にやりたいことではない」と悶々とした気持ちを抱いていた。父親の影響もあり「生まれ持った手先の器用さを活かして、精密加工の会社を自分で経営してみたい」と成人式の日に決意したところであった。その気持ちを兄に相談したところ「まず加工の経験もないし、樹脂加工はこれから伸びるので、細川樹脂に入って仕事をしてみたら?」とアドバイスを受けて面接に臨み、 営業職として当社へ入社した。「さぁこれからは、営業と加工の両方で頑張ろう」と期待を持って入ってみると、その工場は黙々と加工をするという雰囲気からは程遠く、出征経験のある細川兄弟は血気盛んで現場で喧嘩ばかりしていた。
大西氏は「自分で技術を身につけないと…」と危機感を抱き、加工の勉強をし、当時技術的に先行していた同業者にも教えを請うていた。そこで目に留まったのが、当時出たばかりであった数値制御により精度の高い加工ができるマシニングセンターであった。「これがあれば、会社を発展させられる」と考え、導入を進言した。当時の社長は思い切って決断し、1982年に手入力式のマシニングセンターへ投資をした。導入してみると、1行1行入力する手入力式は、プログラムを間違えると最初からやり直しなど大変なこともあった。それでも、当時受注量が多かった飲料製造ラインでの容器把持用治具のような複雑形状でも、今までにはありえなかった精度で加工ができた。こうして顧客の期待を超えていく仕事をすることで会社も成長していった。
社長就任後、積極的な投資を進め、会社のイメージを変えていく
1970年代の終わりからインベーダーゲームに代表される業務用ゲーム機市場が拡大したことから、ロットの大きなゲーム機のカバーの加工依頼が増えて、同社の経営は安定し、1985年に有限会社細川樹脂へと法人成りした。その後、大西氏は1990年の結婚を機に細川家の養子に入り、細川真澄工場長として公私ともに新たなスタートを切った。
しばらくは、会社の業績も順風満帆であったが、ゲーム機の仕事は寸法精度が厳しいわけではなく、競合が増え始めてきていた。「このままでは、価格勝負になり、事業継続に必要な収益性も望めない。当社の得意とする精密加工にシフトしていこう」と考え、産業用装置等の加工精度が求められる部品の仕事を受注していった。とはいえ、簡単に受注はできなかったので、勉強のためと割り切って価格を下げて受注したこともあった。自社の強みを生かしたいという決意がそうさせていた。
2003年に細川工場長は、新社長に就任する。それと同時に会社のPRのためのホームページの開設、設計の高度化のためのCAD/CAMの増設などの施策を矢継ぎ早に推し進めた。それだけにとどまらず、2005年には社屋を建て替えて、大型マシニングセンターも導入した。一連の取り組みでは、大きな借金も抱えた。しかし、細川社長には「次世代を担う若い人材を呼び込むためにも、見た目を変えていかなくてはならない」という覚悟があった。それまでの会社は、コストパフォーマンスを重視した採用戦略で他企業の定年退職者を中途採用してきた。しかし、更なる技術の向上や継承を進めるべく、「給料が高くても若い人材を入れたい。そのためには、気持ちよく働けるきれいな会社にしたい」と考えて採用戦略を転換した。結果的に社員の5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)への意識も高まった。また、通りがかりに整った社屋を見て、訪ねてきた新規顧客も出てきた。
こうして確立された高い技術と品質に加え、顧客から評価されているのが納期管理である。社長と工場長が日に3回ほど状況確認をし合い、突発品なども相談しながら進めている。そうした風土ができ、社員の意識も高く、みんなで助け合う文化が醸成されている。
エコアクション21の枠組みで経営管理をして、ものづくりを高めていく
細川社長は更なる高みを目指すため経営管理の仕組み作りに着手した。2012年から環境省が策定した環境経営マネジメントシステム「エコアクション21」の認証を受けて、その枠組みで不良対応、社員教育などの経営管理を進めている。取り組んだ当初は、社長が全て指図していた。
しかし、期待した効果が出なかったことから、「人に頼らず、自らがやる」という基本線を明確化して、役割分担や品質組織作りなどもトップダウンにせず、従業員自らが決めている。最初は従業員も不慣れで、失敗も一度二度ではなかったが、細川社長は諦めなかった。「自分でやらないと、従業員のやらされ感が強くなり、指示待ち人間になってしまいます。年をとってきたのかもしれないですが、自分のできることの限界を感じ、人を信用して進めた方がよっぽど良いと思うようになりました」と語る。
当社のものづくりの根底には、製品の品質=社員の品格、製品に対する作り手の愛情という考えがあり、それが品質を安定させる源泉となっている。「当社を信用していただき、ある程度の判断を委ねていただき、しっかりしたものが作り上げられる。そんな会社になりたい」と細川社長は理想像を持っている。そこに近づくためにも、2014年に第2工場を設けて、NC複合旋盤などの新しい機械を導入した。増えつつある医薬/食品分野の精密部品などの需要に対応しながら、エンジニアリングプラスチックの切削加工で信頼できるものづくりを追究していく。